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nyoyasha29

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 5.5

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如夜叉    涙香小子訳

                    第二十九回

 一万フランの大金を事も無げにテーブルの上に投げ出したのは何者だ。声は確かに茶谷立夫と聞こえたけれど長々はまだ疑って密かにここを抜け出して横手に廻って眺むると、まさしく彼れ立夫だった。一万フランとは我が生涯に見ることも無い大金だ。それを惜しげもなく投げ出して一勝負に賭けるとは何と大胆な振る舞いだろうと長々は只呆れに呆れるばかり。

 今迄大言を吐いて居たビスマーク公爵も流石これには驚いた様子だが今更手を引くことも出来ないので非常に苦い顔で、
 「フム、一万フランばかりの目腐れ金にこの公爵が驚くと思うのか。」
と嘲(あざけ)った。立夫は飽くまでも落ち着いて、

 「自分が既に公爵になった気で居るのは凄(すさ)まじい。これだけは餌さとして賭けて遣るのだ。後の苦しみを厭わなければ遠慮なく取るが好い。」
 (ビス)餌さは勿論釣り針まで食い取られて後悔するな。
と此方も立派に言い放ったが胸は只ならず騒ぐと見え、息遣いまで荒く聞こえた。

 やがてビスマークは札を切り右と左と己の方とに播(ま)き終り、
 「ソレ、勝負だ」
と言いながら先ず己の札を開くと札は八点を示したり。
 そもそもバカラットの勝負は九点を以って勝ちとなしその上を出るのは皆負けになる。九点より下は何でも九点に近い者が勝つ定めなので、八点ならば大概は先ず勝つと見るべきだ。だから人々は皆茶谷が負けるだろうと思い口の中で、

 「何処まで悪運の強い青物問屋だ」
と罵(ののし)ったが、茶谷は立夫はびくともせず、
 「コレ、青物問屋俺の所から手が届かないから俺の札を明けて呉れ」
と言う。ビスマークは言葉に応じ自ら茶谷の札を明け、
 「ヤヤ、九点か」
と思わず失望の声を発し砕けるばかりにテーブルを打ち叩く。
 実に茶谷の札は九点である。

 ビスマークは顔色を変えながらも払わないわけには行かないので我が前に積み上げた金銀貨紙幣手形を取り混ぜて茶谷の手形の所に押しやった。今迄ビスマークに負けて居た一同は心地好さそうに、
 「コレ、青物屋、その様にテーブルを叩くと自分の手を怪我するぞ。負けるのが否なら逃げて帰れ。」
と言う。

 彼も今は躍起となり、
 「負けるのが否ではないが一万フランと言う大金は手前などの様なけちん坊から取り立てるには一年掛る。ソレを一度に負けられるなら負けて見ろ。」

 茶谷は自分の一万フランが今は二万フランになったけれどもその金には手も付けず、非常に冷たい眼でビスマークの前にある残金を見積もって、
 「フム、未だ二万五百フラン位は有るようだな。好し、一勝負で方を付けよう。」
と言い、更に千フランの手形を五枚取り出して己が二万フランの上に投げ出した。

 この有様を見る長々は殆ど夢かと思うばかりで、
 「惜しいなア。あの様な大金を。本当に茶谷立夫はパリ第一の金満家としか思われない。俺が若し一万フラン勝てばそれを持って直ぐに鶴子を女房にし、所帯を固めて生涯博打には手を出さないがと呟くばかり。

 二万五千フランづつの大勝負なので人々も気が気でない。宛(あたか)も我が銭を賭けたかのように手に汗を握って待つ。ビスマークは無言で再び歌牌(かるた)を播(ま)いて開くと今度も又茶谷の勝ちとなった。ビスマークは非常に悔しそうに我が前の金を茶谷の方に押し遣りながら、

 「もうイヤイヤ、手前などの鴨になって堪(たま)る者か。二勝負に茶谷の痩せ腹を三万五千フラン肥やして遣った。」
と言ひ、額の汗を拭きながら立ち上がる。茶谷は喜ぶ色もなく、
 「堂が潰れたら俺が其の代わりになろう。」
と言いながら自らその跡の座に直り、新しい札を取って切り始めた。

 これより一同は豊かなる堂親ができたのを喜び盛んに勝負を始めたが堂親の勝ちとなり、ビスマーク公爵も更に又千フランの手形を幾枚か取られた。此の時までも長々は唯茶谷立夫の顔をだけ眺めていたが茶谷はまだ長々がここに居るのを知らない。益々勝って益々落ち着き側中を負かさなければ手を引かないと決心したようだ。

 長々の側にいる彼の筆斎は小声で、
 「俺も少しづつ賭けて見ようと思うけれど茶谷にこの通り運が向いて居る間は彼に只進上する様なものだ。運の神は初めての人を贔屓すると言うから俺の代わりに君が遣れば必ず運がひっくり返る。」

 (長)でも俺は六十フランしか金が無い。
 (筆)その中十フランを出し給へ。僕も十フランを出して合せて二十フラン即ち一ルイの金が一番低い掛け金だから儲けも損も山分けさ。
 (長)後日の為めここで茶谷に我が顔を見せておいて、三峯老人に向かい確かに茶谷を博打場で見受けた。その証拠には我も又彼と勝負した一人だと言う決心なので早速十フランの金を出し、では直ぐに賭けて見ようか。」

 (筆)イヤ待ちたまえ、運と言う奴は一寸(ちょい)と躓くと引繰返(ひっくりかへ)るから此の勝負が躓くまで待って居なければ。
(長)躓くとは何(ど)うするのだ。
(筆)イヤその時には僕が知らせる。
と二人が囁く間にも茶谷は愈愈勝ち続け、彼のビスマークさえも全く財布を空にしたと見へ蟇(がま)の如くに膨れ返り、男爵ロスチャイルドと綽名さるる番人大糟を呼び立て、

 「コレ大糟、俺に五千フランだけ貸して呉れ。」
 大糟は好い借り手を得て打ち喜び、
 「タッタ五千フランで足りますか。直ぐに持って参ります。」
と言い一散に我が室へと走り帰る。兼ねて茶谷と軋轢(すれすれ)なるポン引きの猿田は余所ながら茶谷の勝つのを忌々しく思うと見え、聞こえよがしの大声にて、

 「本当に茶谷は良く当たるぜ。是で先祖の金言を更(あらた)めるが好い。」
と言う。長々は金言と聞き忽ち彼の指輪の事を思い出し、なお聞き耳を立てながらも茶谷の指に目を注ぐと、歌牌(かるた)を切る彼の手先にチラチラと煌(きらめ)くのは確かに新しい指輪にして即ち我が拾った本物に似せ仮に作らせた者ではないかと疑う。

 それにしても彼が先祖の金言とは如何なるものだろう。この指輪に彫り付けてある、
 (車を用ひず馬を用ひず唯我が腕を用ふ。)
云々の語ではないのか。何とかして猿田にその語を吐かせたいと思ううち、茶谷ハ猿田の言葉を聞き咎め、

 「先祖の金言が何であろうと傍(はた)から口を聞いてはいけない。」
と制す。猿田は更に聞かず、
 「本当だぜ、茶谷ハ歌牌(かるた)の勝ち金で銀行でも建てるが好い。車を用いず馬を用いず唯我が歌牌(かるた)を用ふと言う文字を看板に彫り付けてサ。」

 さては愈愈此の指輪が思った通り茶谷の品だと長々が腹の中で喜ぶのに引き換えて茶谷ハ痛く立腹し其の顔色を変えたが詮方なし。 猿田を掴み殺す場所でもないので、
 「黙れ」
と一言云い捨て又歌牌(かるた)を取る。

 筆斎はここだと見て、
 「サア長々君、是が躓きと云うものだ。賭けたり賭けたり」
と長々の身体を突く。長々は計らずも茶谷家の金言を聞くことが出来た嬉しさに前の方へ飛び出し急に一ルイの数取りを茶谷が前に突き出した。

 茶谷はここに至って初めて長々生の居るのを悟り且つ驚き且つ戸惑った。その顔色は筆斎の絵にも写す事は出来ない。

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