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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nyoyasha30

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 5.6

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如夜叉    涙香小子訳

                 第三十回

 長々生が大胆に茶谷立夫の目の前に指し付けた僅か一ルイの数取りは実に人々の意外に出たものだった。
 「何だ大の男が先程から相談しているから一身代賭けるのかと思えばたった二十フランか。」
と口の中に嘲(あざけ)るのもいた。又親切にお前この赤い数取りは一ルイの記(しる)しだぜ。勝っても一ルイ金貨一枚しか手に入らないよ。十ルイなら其の黄色い数取りでなければ了(いけ)ないと間違いと見て教えるものがいた。

 筆斎は少し赤面し、
 「ナニ初めての男だから少し味を覚えるまで沢山賭けさせては良くないからね。」
と言い訳する。
 「成るほど一度に懲りさせては後が続かない。初心者には一ルイが丁度好かろう。」
と自ら上手がって呑み込むのは、その実自分が懲りない間に負けを取るこの席の獣に違いない。

 一般の人々は、
 「初心と聞いて、初心が手を出せば運の神が狂いだす。」
と言うこの社会の諺を信仰する者だから是から必ず堂親《胴元》負けになるだろうと思い、今までより余計に賭けた。一人長々は人々の騒ぐのを総て知らず、一心不乱に茶谷立夫の顔を見ると、立夫は忽ち顔色を失い殆ど歌牌(かるた)を持つ勇気さえも無くなろうとしていた。

 しかし彼は事に慣れた海千山千の者なので心の中を悟られまいと、
 「サア皆賭けた賭けた」
と言う。負け腹のビスマークハ残酷にも、
 「茶谷の目は何処にある。この通り賭けてあるのが分からないか。」
と言い、更に茶谷が躊躇するのを見て、

 「何だ此の堂親《胴元》は、俺の剣幕に恐れたのか。」
 「手前の面は小児でも馬鹿にするワ。人に恐れられる様な威のある顔だと自惚れると当てが違うぞ。」
と茶谷はやり返して何気なく歌牌(かるた)を切り始めたけれど、長々の鋭き目にはその手が細かに震えるのを隠す事は出来なかった。

 かくて茶谷が播き終わりて開いて見れば今迄一度も負けた事がなかった堂親が十点で外れを現し側中の勝ちとなり、一ルイの長々まで賭け金を倍にした。長々はその金を本の所に置いた儘(まま)取らず筆斎も別に指図せずに二度目の勝負を待つと二度目も又堂親の負けとなる。

 長々は賭け金の早や四ルイにまで上ったのには気も付かず唯茶谷立夫が益々不安心の色を現す様を見て非常に満足し、
 「フム、彼奴何となく腰が落ち着かないな。」
と見ながら、
 「金を負けるのは厭わないが俺にこの有様を三峯老人へ言われるかと思いそれが心配でならないのだ」
と呟き、未だ呟き終わらないうちに三度目も茶谷立夫が負けとなる。

 一同は長々が手を出してから、このように運勢が一変したのを知ったが長々を見ると宛(あたか)も救世主を見るように成って、長々の賭け金の側に寄せて自分の賭け金を置こうとする者など、その有様は笑うばかりだ。既にして茶谷は四度目の勝負まで自分の負けになったので、ここらが見切り時と思ったように札を置いて立ち上がり、

 「こう外れが来れば遣るだけ益々深負けする。俺は少し息を抜くから誰でも堂親に代わって呉れ」
と言って静かに其の席を離れようとする。ビスマークは毒々しく、
 「何だ是から我々が敵打ちの時になろうとすればもう逃げるのか。三遍か四遍の負けに辟易し少しでも勝ちの減らぬうちに帰ろうとする。爾(そう)まで金が欲しいのか。」
と云う。

 外の人々も今この外れの親を逃がしてはならないと思ふように逃げるような卑怯者なら引き止めても仕方がない。帰してやれ帰してやれ。」
 長々の賭け金の傍へ擦り付けて賭けて居た一人は、
 「ナニこの男爵の運勢が強いから恐れたのだ。」
と早や長々に男爵の位を付けたが、彼でさえ是を咎めないばかりか、ビスマーク公爵までも、
 「爾だ、爾だ、男爵に恐れたのだ。」

 このように口々に罵(ののし)られ如何してその儘(まま)帰られよう。
 「ヘン、けちな奴らだ。それほど俺の金が欲しけりゃ取らしてやろう。賭けて来い。」
と立夫は再び腰を下し前の様に歌牌(かるた)を切り始めたが、実に長々男爵の勢いは非常なもので、是より開く度毎に堂親の負けとならないことはなかった。

 立夫はここに至って全く博徒の真相を現し、目を尖らせて眼を光らせ油断なく人々の賭け金を目算する様子は亀子の傍に来て優しい言葉を吐く日頃の茶谷とは全く別人かと疑がはれる。長々は此の様子をを見て亀子にでも三峯老人にでも今の茶谷の顔を見せれば二度と家には寄せ付けないだろう。好し好し、これだけ見ればもう充分の証拠といううもの。明日は此の事を老人に言ってやろうと腹の中で思案を定めた。

 筆斎ハ又僅か一枚の資本金が既に山盛りに積みあがったのを見、且つは茶谷の前に在る彼が金子の大いに少なくなったのを見比べ、最早半金を引き去って手元に納め、たとえ負けるとも納めた金だけは浮くようにし、
 儲けた分で勝負する時と悟り、
「サア、それ半金だけは取り給え、」
と長々男爵の耳に囁く。ビスマーク公爵も既に堂親の手元が薄いのを見て、

 「サア、此の一勝負が一か八だ」
と山の如く盛り上げる。是に負ければ堂親は消滅するだろう。こういう時、幸を得て運勢の立ち直る事があるものなので筆斎は再び長々男爵の肩を突くと、俄(にわ)か男爵は心得て賭け金の半額を引こうとする。此の時宛(あたか)も茶谷が早や札を一枚配った時だったので彼は目敏く見咎めて、

 「了(いけ)ない。親が播(ま)き始めてから賭け金に手を付けるのは。」
と制す。筆斎は長々が手を出すのが少し遅かったのを悔やんだが今更仕方がない。俄か男爵も、
 「儘(まま)よ、此の一勝負に丸々負けた所が元を言えば一ルイの損失だ。」
と高を括(くく)って乗るか反るかの分かるのを待つと茶谷も此の一挙を天下分け目と殆ど血眼になって札を開いた。

 アア是彼の運の尽きだった。彼の札は又外れた。彼の顔色は益々青きを加えたけれど、彼別に騒ぎはせず。自分の前に積んだあった金で一同に払いをなし、まだ足りない分は懐中から取り出し、その身も一文なしとなった代わりに一文も借りを残さず。
「是で皆満足だろう。」
と震える声にいと苦い笑みを洩らし、その儘ここを立ち去った。

 失望の極度とはこのような事をや云ふのだろう。筆斎は長々を促して、
 「サア、金を納め給へ。二人の割り前が一万フラン以上に上った。」
 長々は一万フランの声に驚き、
 「ナニ、その様な事は無い。」

 (筆)イヤ僕は初めから数えていた。一ルイの元金が十遍倍金になったから一人前が一万零二百四十フランだ。サア君はこれで金持ちになったぞ。」
と言いながら取り込ませて立ち上がる。傍(かたわら)の人々は嘲笑(あざわら)い、
 「エ、この野郎金の勘定さえ知らないぜ。」
と云う。先刻の俄か男爵今は早や野郎だ。是が博打場の人情ではあるか。

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