巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nyoyasha33

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 5.9

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                 第三十三回

 長々生は博徒ではないので鶴子に疑われるのを迷惑し必死になって彼の一万フランを勝ち得た次第を弁解するのも無理はない。弁解も漸(ようや)く終わった頃鶴子の兄である春野耕次郎は帰って来て一足部屋の中に入ったが思いも掛けない長々がここに居るのを見眉を顰(ひそ)めて踏み留まった。

 その様子が何やら落ち着かず胸に心配を持っているようなのは打ち続くこの頃の不愉快に気もふさいで晴れないからだろう。長々は何と挨拶して好いかと思案も未だ定まらない。耕次郎ハ突(つ)と寄って、
 「オヤ、今朝出した葉書が届かなかったと見えますね。」
と言い来るのを鶴子が受け継ぎ、
「その事は私が言いましたよ。今朝銀行に用が出来、美術館へ行く事が出来なくなったと。」

 (耕)それに今日は様々の調べ物があるのを家で調べる積りで持って帰りましたから夕刻まで少しも暇がありません。」
と云うのは長々に長居されるのを恐れての予防だろう。長々は口の中で、
 「それではこの次の日曜日に又お供をするとしましょう。」
と呟(つぶや)いたが立ち上がらない。

 鶴子は兄の顔を見て、
 「兄さん、外に話もありますからまあ腰を下しなさい。何時まで立っているのです。」
と言い耕次郎が力なく腰掛けるのを待ち、更に、
 「アノネ兄さん。長々さんハ先程来て色々の事を話して居たのですよ。夫で今又私を愛するからと言って結婚の事を申し込みました。」

 耕次郎は又眉を顰(ひそ)めながらも、
 「何を冗談云うのだ。」
と言って聞き流そうとする。長々ハ又急き込み、
 「いいえ冗談では有りません。全体貴方へ先に云い込むのが順ですけれど。貴方がお留守ですから直々鶴子さんに打ち明けましたが。」

 (耕)イヤ鶴子へ言うのも私へ言うのもそれは同じ事ですが、私に合点の行かないことは何うして貴方が鶴子を妻にしたいなどと思い込んだのか。未だ充分に鶴子の気質もご存知ない中に。
 (長)「勿論長いご懇意では有りませんが丁度貴方が三峯老人の娘亀子をお見初めた頃から見初めました。」
と妙に耕次郎の急所を突いた。

 成るほど耕次郎が亀子に逢ったのは殆ど長々が鶴子に逢ったのと同じ頃の事なので、我を鶴子の気質を知らないうちに愛すると咎めるならば彼も亀子の気質を知らないうちに愛する者、その点は先ず五分五分だと長々ハ腹の中で思って居るのだろう。

 耕次郎は直ちに鶴子に向かい、
 「和女(そなた)は何と返事した。」
 (鶴)「兄さんに相談した上でなければ返事ハ出来ないと言いました。ですがね、兄さん、長々さんと私とハ貴方が思うほどの他人でハありませんよ。三峯老人の細工場でハ毎日朝から晩まで一緒に居て話をした事もありますし、それに又先日質屋でも逢いました。」
 
 (耕)大層自分の田へ水を引くナ。それにしても結婚の申し込みと言うのハ容易な事ことではない。
 (長)イヤそれハ私も知っていますが、実は色々訳も有ります。打ち明けて言うのハ失敬かも知れませんが、全くこうなんです。

 以前から私ハ貴方が三峯老人の娘亀子を思い込んでいると知り、似合った縁だと思って居るうち、亀子が彼の茶谷の妻になると聞きましたから、師匠の為亀子の為、捨てて置かれない事と思い、何とかして貴方を亀子の婿にしたい者と早速決心を固めたのです。

 茶谷はああ見えても悪人、私は彼を暴く工夫を考えて居るうちに鶴子さんの思惑を聞くと矢張り亀子の為を思い茶谷を不安心な男とお認めなさる模様ですから私も終に大胆かも知れませんが貴方と縁続きの兄弟になれば益々師匠や亀子の為も計れると考えまして、夫でこの様な事を言い出したのです。」
と此方は一生懸命なれど耕次郎は有り難しとも思わないのかそっけもない返事で、

 「フムでは亀子を私へ世話する代わりに鶴子を自分へ呉れ言う積り。交易のような御相談ですね。」
とやり込めるのを、鶴子は傍で聞き兼ねて、
 「交易なんてその様な事ではないでしょう。茶谷が悪人と分かれば亀子を救うのが友達の情という者ですから。茶谷は一同の敵でしょう。その敵を防ぐ為に私と貴方と長々さんと三人の力を合せるのが好いじゃありません。」

 (耕)余り言い回しが遠いから私には何のことか更にわからない。
 (鶴)「分からない事はありません。斯(こう)ですよ。今の所では三人が一緒になって亀子を救い結婚の相談はその上で又緩々(ゆるゆる)しようでは有りませんか。」
と熱心に説くのを見れバ鶴子の心も長々を憎からず思うと見える。
 長々は腹の中で手を合わないばかりである。

 (耕)三人が何と力を合せても次の週間と決まっている亀子と茶谷の婚礼が今更破られるものではない。
 (長)イヤ破れない事はありません。随分難しい仕事でも三人が力を合せて茶谷立夫が悪人だと言う事を老人と亀子に知らせてやれば。
 (耕)それを知らせるには確かな証拠を手に入れなければ。
 (長)「サア其の証拠は私の手で大方は集まりました。」
と是から長々は自分が骨折った事の筋道をバ彼の茶谷立夫が初めて松子夫人に逢った時、初対面と見せ掛けながら何となく様子有りそうな目配せをした事。松子夫人は『まあ坊』と言う賎しい女に生き写しである事等を初め松子夫人が質店で指輪を落とした事からその指輪が茶谷立夫の品に相違ない事までを述べ終わり、

 「サア是までは分かりましたからこの上は未だ松子と『まあ坊』と同人で茶谷が其の情夫だと言う証拠さへ手に入れば好いのです。」
 (耕)所がその証拠が挙がらないでしょう。
 (長)「イエそれも大方挙がり掛けて居るのです。」
と言って是から又公園で『まあ坊』が松子夫人の遺失(おと)した指輪を欲しがりその手下をして我を闇討ちにしても奪わそうとした次第を説き尽くし、更に一層力を込めて、

 「特にこの私を闇討ちに逢わそうとした奴らの主なる一人は直ぐ此の部屋の頭の上に住んで居るのですが、今し方此の家へ入る時五階の窓から首を出してタバコを燻らせながら景色を眺めて居る所を見留めました。私は美術館へ行く積りであったから此の次に来て捕えようと思いましたが美術館へ行くのを止めれば今直ぐに捕えて問い質(ただ)しても分かります。」
と話は益々危急の所まで押し寄せた。

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