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nyoyasha39

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 5.15

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如夜叉              涙香小史 訳

                  第三十九回

 出し抜けに強く足を引かれ長々は殆ど自分の身を支えることが出来ないところだったが、初めから鼻竹の心を疑い煙突の支えに用いてある鉄の綱に手を掛けて居たので辛くも身体を支えることが出来た。 鼻竹ハ必死となり、
 「幾らその綱に掴まっても最(も)う駄目だぞ。引き落とさないいで置くものか。」
と言い益々其の手に力を込め、更に口続けに罵(ののし)って、

 「俺と一緒に落ちるなら有り難く思うが好い。」
と果ては長々の足を折らんばかりに力を強め、且つ引き且つ捻(ひね)るのでその痛みに耐えることができず、綱を持っている手も緩もうとする。今は早や是までだと全身の筋力を振り絞って掴まれている右の足を漸(ようや)く一尺(30cm)ばかり上に引き上げ鼻竹の頭の少し前の方に出たのを幸いに充分に狙いを定めて左の足で彼の天狗鼻を砕くるばかり蹴り挫くと彼はその痛みに眼が眩(くら)みあっと叫ぶ一言と共に長々の足を放し、その儘(まま)下に落ちて行った。

 長々は身を直して先ず自分の足の痛みを揉み次に額の汗を拭い、彼奴も先ず目指す敵の片割れと言う者だ。死んで仕舞えば此の上は一本槍に『まあ坊』を調べる丈の事だ。」
と呟(つぶや)きつつ立ち上がって元の天窓に引き退き、それから降りて鼻竹の落ちた場所に行って見ると、彼は殆ど眼口鼻の区別も無いまでに打ち砕け、血に塗(まみ)れて死んでいるのを見る。

 その傍らに同じ有様の死を遂げた一人は哀れむべし彼の栗川巡査だった。長々は幾度か嘆息をし、その傍に驚いて立ち番している倉地外数人の巡査に向かい、屋根の上の顛末物語ると、いずれも長々が自ら屋根の端にブラ下がり辛くも再び攀じ登った有様を下から見留めていた事なので、長々の功を褒めて止まない。

 しかし長々は心に様々の秘密を包んでいることなので長く語るうちに我が口を滑らせてはならないと思い好い加減に切り上げて再び四階に上って行き春野耕次郎の部屋に入り、彼等同胞(二人)とこの日を暮らしたということだ。

 是から既に三日が経った。其の筋では鼻竹の死んだのを見て、最早や村越お鞠の殺された事件は、探索の手掛かりが無いものと見なしここに見切りを付けたと云う。しかし長々はまだ諦めてはいない。彼の懐中には『まあ坊』から鼻竹に送った一通の手紙がある。是を証拠として『まあ坊』を訴えるのは容易(たやす)いけれど、唯我が師匠の家がこの様な事柄で世間の口端に掛るのを好まない。成るべく何人にも知らせずに事の落ち着きを計ろうと思っているのだ。

 だからと言って此の手紙だけを証拠として再び三峯老人に告げても、老人は先に吾を叱った様に又もや余計な調べ事だとして我を退けるだろう。殊に又此の手紙だけでは実際何の証拠にもならない。我が肝腎の目的は『まあ坊』と松子夫人とが同人であるとの証拠を得、続けて茶谷立夫が『まあ坊』の情夫であるのを見極め、それで立夫と亀子の婚礼を妨げることにだけ在るのだが、此の手紙は唯『まあ坊』が鼻竹に送った丈のもので軽根松子夫人には露ほども関係がない。

 何とかして松子夫人の書いたものを手に入れ、其の筆癖とこの筆癖とを見比べるのが差し当たりの急務であるが如何にして松子夫人の書いたものを手に入るべきか。自ら松子夫人を訪うのは既に先頃指輪を返しに行った時の事で懲り懲りしている。嗚呼如何にしたら好いだろうと只管(ひたすら)心を砕いたがこれぞという思案も浮かばず其の中に立夫と亀子の婚礼の日限ハ益々押し寄せるばかりで、あと三日を空しく過ごしたら何もかも後の祭りとなる場合なので彼は殆ど気が気でない。

 師匠の家に入って行っても彫刻さへ身に付かないので唯当て度もなく外に出て街中を徘徊すると犬も歩けば棒の譬えか、モンシー街を通ると丁度思い掛けなく彼のお皺婆を見掛けたので、先の夜公園の帰りに赤印度人の装束を借り、それを返した時婆が『まあ坊』を知っていると語った事を思い出して忽ち一策を按じ付き、その傍に寄って行って声を掛け、

 「婆さん、何(どう)だ、相変わらず繁盛かね。」
と肩を叩くと、婆は好い所で逢ったと云う風で、
 「オオ、長さんか、此の頃の不景気に何が繁盛するものかね。日頃正直なお前まで直ぐに払うと約束したアノ損料を未だ払って呉れない程だもの。あれから運が悪くなり当てと言う当てが悉(ことごと)くはずれてばかりサ。」

 (長)「爾々(そうそう)俺はすっかり忘れていたよ。サア是で損料を取って貰おう。」
と言ひながら彼の胴巻から有名なる金貨一枚を出して与え、是では八フランつりになるが、己等(おいら)は此の頃無尽が当たり山の様に金貨をもっているから釣りは要らない。滞った利子にやろう。」

 婆は驚いて長々の顔を見上げ、
 「本当に無尽が当たったのかエ。アアお前にゃ当たるよ。人間が正直だもの。私にも少し儲けさせてお呉れな。損料の踊り着物も又色々来ているから其の中でも日本のユカタなどと言うのは本当にお前に着せて踊らせたい。どれ程か軽かろう。」

 長々は我が餌さの充分に利いたのを見、
 「儲けさせて遣ろうとも。それもナニ損料を借りるのじゃないが差し当たってお前に頼みがある。」
 (婆)「アア、儲け口なら何でも頼まれるよ。」
 (長)「儲け口とも。お礼は幾らでもする。外でもないがお前『まあ坊』を知って居ると言ったね。」
 (皺婆)爾(そう)サ、大知りだったが外国へ行ってしまったから私も大事のお得意を失った様な者サ。」

 (長)「所が其の『まあ坊』が帰って来て今じゃ立派な貴婦人になり軽根松子夫人と名乗ってアンジョー街に住んでいるが、お前其の家へ訪ねて行き『まあ坊』に逢って来てくれないか。」
 アア彼大胆にもお皺婆を松子夫人の家に遣り松子と『まあ坊』が同人であるかどうかを見届けさせようと思っているのだ。

 (皺)「オヤオヤ、直ぐそこのアンジョー街、私は少しも知らなんだ。外国へ行き貴婦人になって来たならきっと色々な衣類(きもの)も持っているだろう。お前に頼まれなくても私しゃァ訪ねて行くよ。行って古いのを買い出して来るワネ。だがネ、長さん、今ハ買出しの資本(もとで)がないから十五ルイか二十ルイの金が溜れば其の時に行くとしよう。」

 (長)ナニそれくらいの資本はソレここに」
と言いながら又胴巻を探り一握りの金貨を取り出し惜しげもなく手渡した。彼は今まで此の金を以って鶴子と所帯を持つ資本にしようと思っていたので虎の子より大事にしていたが鶴子に汚らわしい金だと罵(ののし)られてから今では重荷の様に思い、殊(こと)に屋根の端にブラ下がった時、此の金の為我が身が猶更重かったと思ったので金子(かね)ハ身を危うくする元と心得、之は早く使い捨てようと思っているのだ。しかしながら婆は簡単には納めず、

 「長さん、お前ハ何だか気味の悪い人だネエ」
 (長)「ナニ気味が悪い者か。無尽が当たって持て余している金だから差し当たりお前の資本に之だけ貸して遣るのサ。」
 (皺)「アア貸して呉れると言うなら借りよう。こう見えても私ハ訳もなく貰いものは受け取らないよ。先達(だっ)ても安いと思って買った着物が泥棒の品だといって警察でひどい目に逢ったから。」

 (長)「此の金を盗んで来たものと思うのハなお酷(ひど)いや。何処からも文句の来る金じゃないから夫(それ)だけハ安心するが好い。」
 (皺)だが其の『まあ坊』に逢った上でお前ハ何をして貰いたいと云うのだエ。」
と問い返す。是より長々は如何なる計略を授け様とするのだろう。

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