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如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 5.19

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如夜叉              涙香小史 訳

                 第四十三回

 長々がお皺婆から受け取ったこの着物は即ち『松あ坊』が三峯老人の目を焼き潰した夜着ていたもので、裾の穴は逃げ去ろうとして戸に挟まれ、その時引き破って行ったものだから松子夫人の闇を追及するにはこれに増す証拠はない。警察に保管してあるあの切れ端とこの着物を比べて見ればどれほど雄弁な弁護人でもこれを打ち消す事は出来ず又どれ程慈悲深い陪審員でも無罪の見込みを付けることは出来ない。

 長々はこの様な確かな証拠を得たので、我が目的の早や充分に達した様な思いがして小躍りしながら師匠の家を目指して急いだが、やがて間近になるに従がい未だ色々な困難があるのを思い出し、足の運びも鈍るのを感じた。第一この着物を証拠とするには警察に保管してあるあの切れ端を借りて来なければならず、穴の開いた着物は幾らでもあり、それに偽証を作る為似か寄った穴を作る事も非常に容易な事なので、頑固者の師匠のことなので却って我を偽証などを作る者と疑ったらどうしよう。

 せめて栗川巡査でも生きていたら彼に頼んであの切れ端を警察から借りて来てこの穴と合せて見せる望みもない訳ではなかったが、彼は今はこの世の人ではない。次に又『松あ坊』の自筆の手紙だって目の見えない師匠に向かっては殆ど何の役にも立たない。だからと言って亀子を呼んで来てこれに鑑定を任すのも安心できない。他人には猶更(なおさら)頼みにくい。

 何か良い工夫はないだろうかと空しく考えて居るうちに、それ程遠くもない師匠の家に早くも着いたので、先ず入り口から細工場を眺めると今までとは酷く様子が違い、彼の彫りかけた義勇兵の石像も当分用無しと言う様に布を掛けて姿を隠し、鶴子や耕次郎が来ていた頃一同の寄り合ったテーブルも椅子と共に隅の方に片付けられ塵(ちり)が積もるのに任せてあった。

 長々はこの有様を見て、さては婚礼の期日も近付いて、その済み次第スミルナに行く積りだから早やそろそろと取り片付けに掛っているのか。嗚呼我が目的も簡単に見えて簡単ではないと一人嘆息(ためいき)をつきながら歩み入ると、再び長々の目に留まったのはその中央に二個の椅子を置き宛(あたか)も又誰かの半身像作る様にそれらの道具を取り揃え、その上模型に作るべき粘土なども備えてある一事である。

 さてはどこかから肖像の注文を受けスミルナ行きの留守中に吾に作らせる積りなのかとしきりに怪しみ考えながらも、先ず彼の古着を一方の長椅子の上に掛け、師匠老人は何処に居るのだろう。外に来客などあっては秘密の話に差し支えるので、その居間まで訪ねて行こうかなどと思ううち、静かに彼方の戸を開きそろそろと入って来たのは即ちこれ師匠三峯老人でその手を引くのは亀子の唯一人の伯母である柳田夫人だった。(柳田夫人がこの家に来て住んで居る事は本編第一回及び第六回にあり。)

 この夫人は即ち老人にとって従妹で早くから寡婦になって田舎で女子教育の私塾を開いていたが、今はこの家の世話になって居るのだ。尤も幼い頃から亀子に読み書きを教えたのもこの夫人なので老人は目が潰れてからは老人の秘書官兼家内取締りと言うべき役目で甲斐甲斐しく立ち働いている。

 長々は二人の姿を見ると直ぐこの夫人ならば『松あ坊』の手紙を鑑定させ老人に飲み込ませるにも丁度良いと思い、その傍に進み寄って先ず夫人には黙礼をし老人には、
 「先生細工場の様子が丸で変わりましたね。」
と言う。老人は驚いて、

 「オオ長々か、手前何処へ行っていた。昨日からさっぱり見えず、今日は手前に手伝わせることがあるので朝から探させたけれど宿にも居ないと言うから。」
 (長)オヤそうですか。私は又その様な用事があるとはしらず。
 (老)朝から居酒屋にでも行って居たのだろう。しょうがないなあ。
 (長)イイエその様な事では有りません。ですがその御用と言うのは。

 (老)手前に用事と言えば彫刻のことより外にはない。
 (長)誰かの肖像でも作るのですか。
 (老)問わなくても手前には目があるから辺りの様子を見れば分かるだろう。
と非常に不機嫌な様子なので長々は益々失望し問い返す言葉も出なかった。

 (老)今日は三時から軽根松子夫人が来るはずだ。
 (長)エ、あの松子夫人が。
 (老)爾(そう)さ。前から俺が手探りに夫人の像を作って見たいと言って居たことは知って居るだろう。俺はその後も何度となく夫人に頼み捨苗夫人からも頼んでもらい種々様々に骨を折ったその甲斐あって、夫人は終に承知した。三時と言えばもう間もないから、サア貴様もそのその仕度を手伝ってくれ。

 長々は腹の中で、
 「エエ、三時と言えばそれまでに松子が『松あ坊』と言う事を老人に承知させる暇はない。もう大方二時だから」
と呟き更に声に出して、
 「ヘエ、本当に手探りでお遣りなさるのですか。」
 (老)「本当だとも、俺は稼業のことに嘘は言わない。疑わしいと思うならこれこの手紙を見ろ。今しがた松子夫人から寄越したのだ。」

と言って手に持っている紙切れを差し出すので長々は受け取って一目見ると有難い、その筆癖はお皺婆が受け取ったあの受け取り書及び『松あ坊』から鼻竹に送った手紙の文字に少しの違いもないので証拠の上に又一つ証拠を加えたのを打ち喜び、更にその文句を見ると、

 「師よ、先日ご承諾した通り妾(わらわ)の顔は御身の随意に任せ申します。これで若し見本の役に立つならば誠に妾(わらわ)の名誉なので今日午後三時に細工場まで伺いたいと思います。別に用事もない身ですのでこの後も毎日三時から五時までの間ならば御都合次第参上します。月日軽根松子より」

とあり今我が持っている二通の書類がこの書付と同じ事を柳田夫人の口で言えば老人も打ち消す理由がないだろう。松子夫人が来てから直々に彼女を攻めては徒(いたずら)に事を荒立てるだけで、かつは老人をも立腹させる。たとえ時間はなくても先ず老人を説き伏せて老人の口から松子を責めさせるのに勝る事はないと長々がようやく考えをまとめる間に柳田夫人は長々の気も知らず、

 「では長々さん老人を頼みますよ。私は亀子が待って居ますから」
と言い自分は早や既に退こうとする。長々は慌てて夫人を引きとめながら、
 「少しお待ちなさって下さい。大変なお願いがありますから。」と言う。

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