巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nyoyasha51

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 5.27

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如夜叉              涙香小史 訳

                 第五十一回

 この様な所に走って入って来たのは女中の花子の知らせに驚き気も転倒した柳田夫人である。長々の背の方から声を発し、
 「亀子が階段から落ちましたか。」
と忙しく問う。長々は直ちに振り向いて非常に厳かな調子で静かになさい夫人、泣いたり叫んだりする場合では有りません。ことに女中などには一言も言わないように願います。実は階段から落ちたのではなく、老人が他人と間違えて傷付けたのです。傷は中々深いけれど直らないものでもないでしょう。

 幸い私の友人に外科の名人があってまだ世間へは名も知られていない男ですが、この様な場合には外の医者より最も信用が出来ますから、10分間と経たないうちに私が呼んで来ます。たった今も私が外から帰る時道で会ってこの門口まで一緒に来て分かれましたから、まだ居る所も分かっています。」
と早口に説き明かす。

 夫人はこの言葉が耳に入ったのか入らなかったのか、ただ老人が娘亀子を害せしとの一言に驚き呆れるのみにして急には返事も出来なかった。
 (長)「分りましたか夫人、この事が少しでも世間に漏れてはならないから医者の方は私が受け合いますが、若し召使の者から漏れれば貴方の落ち度ですよ。外の者には誰にでも階段から落ちて怪我をしたと言い聞かせてお置きなさい。」
と長々は亀子の命と老人の名誉を二つながら救い出させ警察沙汰と世間の噂を防せごうと思うために熱心に言い渡したのだ。

 夫人ももとより思慮の深い人なので充分に飲み込んで頷きながらも、
 「それにしても余り松子夫人が憎いでは有りませんか。夫人は何処に行きました。」
 (長)「何処へ行ったか亀子に会うと言って二階へ上がりそのまま降りて来ないのです。私が出るときに表の戸に錠を下ろさない先に逃げ出して仕舞ったに決まっています。」

 夫人は聞いて震えあがり、
 「何もかも分りました。もうこの家には居りません。貴方が錠を下ろす前に逃げたのです。」
 (長)でも二階に上がって来たのを貴方は見受けましたか。
 (柳)ハイ見受けましたにも亀子の部屋に入って来たのです者。 (長)それから
 (柳)それから亀子に向かい、今日は愈々老人が私の石像作るによりそこを亀子にも見せ、目が見えなくても別に不自由をしないと言う事を理解させて置きたいから直ぐ亀子を連れて来てくれと頼まれたと言って、では亀子さん私は下に待って居ますから直ぐに細工場に下りていらっしゃいよと言い捨て、自分は直ぐに亀子の部屋を出ましたが、今考えてみるとそう言って裏階段へは降りずに自分は表階段を下ったようです。

 こう聞いている長々より背後にある老人の方が一層驚き、
 「何だと、あの『松あ坊』めが亀子に下に下(お)りて来い言ったのか。。エエ悪女め。俺に殺されると言う事に気が付いて罪も無い亀子を騙し自分の身代わりに立てたのだと歯をかみ締めて悔しがるのも無理はない。柳田夫人は全く顔の色を失い、その声を震わせながら、
 「私も今になってそうだろうと思います。」
と言う。

 一人長々はそうは思わず、
 「イヤまさか『松あ坊』が亀子さんに怨みは無いから亀子さんを身代わりに立てると言うそれ程の恐ろしい心でもないでしょう。ただ亀子さんを下へ卸(おろ)し、その間に自分が逃げれば下には目が見える私も居る事だし亀子さんを自分と間違えるはずは無く、驚いて詮索しても間に合わないことになるだろうとこれ位の考えでしょう。」
と言い、老人を慰めたが、この時たちまち又長々の胸に浮かんだのは、

 若しや彼の松子夫人が自分の大事な情夫とする茶谷立夫が亀子と婚姻するのを妬ましく思い、儘(まま)よ、老人が我が身と間違え亀子を殺せば殺せという恐ろしい心だったかも知れないということだが。そう思うと殆ど戦慄するばかりなので、生死も知らない亀子を控えて想像に時を移すべき場合ではないので、特に又松子の心根が何(ど)うだったのかや、彼女と茶谷の間柄は如何だったのかなどの疑いは追々探るべき折があるだろうと思って、柳田夫人になお二言三言注意を残して長々はそのまま医者を迎えにとこの所を立ち去った。

 そもそも長々が迎えようとする医者というのは彼の画工(えかき)筆斎と同じく家も無く妻も無い書生上がりにして気心の会う所から長々とは属魂の親しさなので医道にかけての腕前は必ずしも世の大医劣るものではないが唯上辺を飾らない為世の信用を得ていないだけで一度この人の治療した者の中には密かに信頼を寄せる者も多いとか。

 この人名を石村淡堂と称し先程長々がお皺婆を迎えに行った帰りにこの家の門口まで共に来て、分かれて近傍のコーヒー店に入って行ったのだ。長々はその事を知っていたので直ぐにそのコーヒー店に馳せ付けると淡堂先生既に一皿の肉に飽き、心地良さそうに鼻歌を歌っていた。

 長々は先ず彼の有名な金貨一片を取り出し、
 「コレ給仕、給仕、これで淡堂先生の勘定を取り、残りはこの次の勘定に廻して置け。」
と命じて、直ちに淡堂の前に行き、小声で、
 「君がために急病人を見つけ出して来た。旨く治療をすれば一財産作れるぜ。」

 淡堂は唯の怠惰者ではない。患者の為には寝食を忘れる程医術が好きな人なので、猶予無く立ち上がって、
 「直ぐに行こう。その病人は何だ。」
 (長)実は父が娘の胸を短刀で刺し抜いたのだ。
 (淡)フム、子殺しか。
 (長)ではない。外の人と間違って。

 (淡)オヤオヤ、それは非常な近眼と見えるな。
 (長)近目ではない。盲人だ。僕の師匠の三峯老人さ、併し君厳重に秘密を守ってくれなければならないよ。
 (淡)その様な事は安心したまえ。決して他言などはしない男だ。
 (長)じゃ、君、治療が届くだろうか。
 (淡)それは患者に接した上で無ければ、だが何か血は沢山に出たのか。
 (長)出たとも出たとも、止めどなく出てしまった。

 (淡)外へ沢山出血するのはかえって良い。内部へ出欠してはとても助からないところだが。
 (長)もし直ると摺れば何日くらい掛るだろう。
 (淡)それも分らない。通例は一週間余り経たなければその様な病人は直るとも直らないとも見込みが付かない。
 (長)見込みだけ付いた所で愈々直って元気になるまではよほど月日が掛るだろうね。
 (淡)そうだね、一ヶ月掛るのもあれば三ヶ月掛るのもあるさ。

 (長)好し好し、一月もあればその間に伯爵をとっちめるぞ。
 (淡)何だと。
 (長)イヤコレはこちらのことだ。
と云ううち二人は西山三峯老人の家に着き、長々が先に立って亀子の部屋へ上って行った。

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