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nyoyasha56

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 6.2

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如夜叉              涙香小史 訳

                  第五十六回

 愈々(いよいよ)茶谷と大談判《問題解決交渉》を開く為に三人はクラブに向かって出かけたが道々も長々は筆斎に打ち向って、
 「君はあの後クラブで茶谷に会ったのか。」
 (筆)会った事は会ったが彼奴(きゃつ)は余程財政困難と見えカルタには手も出さず、宛(まる)で亡者のようになっている。
 (淡)それは必ず『松あ坊』が資本を注ぎ込まなくなったためだろう。」
 (筆)そうさ、それだからなお亀子嬢との結婚を急いでいるのだ。

 (長)して見ると彼奴の金を一万フラン余り勝ってやったのは好い気味だったな。
 (筆)とりわけ一万フラン金があれば当分飢え死ぬ気遣いは無くそれに君は鶴子嬢と世帯を持つ時の資本になるからねえ。
 (長)ところがそれがいけないのだ。鶴子は博打などで勝った金は汚らわしいと言うから僕はこれから彫刻でもって新たに資本を作る積りだ。

 (淡)それは極々容易なことさ。三峯老人が彫刻を止めれば、今まで老人の得意先は総て君に呉れるだろう。
 (筆)それに鶴子という付き物があればそれが張り合いになって益々稼がれるわ。何でも鶴子嬢の兄の耕次郎というのも中々頼もしそうな男だよ。彼も亀子嬢には気があると言う事だが。
 (長)そうさ。僕の積りでは茶谷を止めて耕次郎を老人の婿にしたいと思う。

 (淡)長々君、中々うまくやるぜ。石一個で鳥を二羽打つと言うのは君の事で兄を喜ばせ妹を妻にしようと言うのだね。
 (筆)違いない。何しろしかし悪事でないから友達の好意(よしみ)に我々も充分手伝ってやろう。
 (淡)そうとも、だが差し当たりそれより急務は茶谷との戦略だが、全体誰が先鋒になる。

 (長)それは僕さ、僕が第一に口を切り、『松あ坊』との関係のことからお鞠を殺した嫌疑の次第まで述べて行くから、その時淡堂君が彼の治療の一条を持ち出してくれればそれで彼奴をとっちめるから、その上で彼奴に二度と三峯老人の家へは足を踏み入れないと言う約束をさせ、それも口先だけではいけないので書面に認めさせて取って置く。」

 (淡)イヤ書面と言ってもその様な書面を出すのは詰まり自分の犯罪を白状するのと同じ事だから彼は中々承知しないだろう。
 (筆)そうとも、それよりは一層一週間のうちに外国に出奔しなければ、八日目には己(おのれ)の悪事を警察に訴えるぞとこう一つ責めつけるのが良いだろう。
 (淡)そうだ。そうだ。何時でも彼奴が外国から帰って来ればすぐに警察の手に捕まるから、当分この国に帰る事は出来ないというもの。

 (長)成る程そうだ。そうしよう。無難に外国に逃げていくか、それともこの国で捕まるか二つに一つを選ばせて。
 (筆)だけれど彼奴も中々の知れ者だから、大激戦を遣る積りでなければいけないよ。僕の考えでは彼奴は必ず我々の中の誰かに決闘を吹き掛けるだろうと思う。殊によれば三人に皆吹き掛けるかも知れない。
 (長)それはこちらの望むところさ。彼奴を無いものにするには、決闘ほど好いものは無い。

 (筆)だが彼奴は剣術には名を得た達人で今までに勝ったことが何度もある。
 (長)ナニ、僕も今までに栗川巡査などと何度も久しく撃剣の稽古をして、満更覚えが無いでもないから。
 (淡)「それとも、もしピストルとくれば、僕が相手だ。ピストルにかけては誰にも負けは取らない積りだ。」
とかつ語りかつ歩いて、ようやくクラブの入り口に着いたが、この時丁度中から幹事何某が出て来たので、筆斎は直ぐに進み寄り、茶谷立夫の番地を聞くと、

 (幹)「ナニ茶谷なら今クラブに来ているから直々に会って聞き給え。彼奴はもう余程困窮して給仕の大糟にも借りを拵え、僕にも貸して呉れと言うけれど、断っているがそのためカルタに手を出す事は出来ず、なんでも玉突きを遣っているようだ。」
と言い捨て、幹事は立ち去った。

 長々は筆斎に向い、
 「玉突き場に居るのじゃ面白くないね。外の人も居るだろうから。」
 (筆)昼間は会員も来ないからどの部屋も空いているよ。彼奴の家と違い、面会を謝絶すると云う様なことは無いから結局便利だろう。
 (淡)「そうさ、何処でも空いた部屋へ連れて行って談判すれば良い。」
と尤もな言い分に、長々はも実にそうだと感じ、そのまま中に入って見ると、何処からか筆斎の顔を見つけて走り寄って来たのは彼の男爵ロスチャイルドの綽名のある給仕大糟で、彼は丁寧に頭を下げ、

 「失礼ながら貴方は美術家だけに同じ美術家の事は好くご存知でしょうから、パチノーツ街に住む西山三峯老人という彫刻家のことを伺いたいのですが。」
と異様な言葉に筆斎は怪しみながら、
 「それがどうした。」
と聞き返す。
 (大)「イヤその人は余程の資産家ですか。」
 (筆)詳しくは知らないが先ず金満家だ。五十万以上の資産だろう。

 (大)そうですか。それで茶谷伯爵が近々その家の令嬢と結婚と聞きましたが事実ですか。
 (筆)サアその様な風説だが、お前は茶谷に貸しでも有るのか。
 (大)イエ、ナニ僅かですから茶谷伯爵がその家の婿にでもななら安心です。
 流石は失念なきロスチャイルド男爵の掛け引きかなと三人は顔を見合わせたが、なおも筆斎の後に従がい奥深く進んで行くと、筆斎はとある一室の戸を開き自ら先ず進み入る。二人も続いて入って見ると、ここは即ち玉突き場で茶谷は一人の相手と勝負を争い、上着まで脱ぎ捨て、シャツ一枚で棒を取り今しも非常に難しい位置の玉を突こうする所だったが、長々の顔を見てギクリとした為か首尾よくその玉を突き損じた。

 相手は非常に喜ぶ様子で、
 「アア到頭僕の勝ちになった。サア、もう一突き勝負しよう。」
と云う。茶谷は不興そうに、
 「イヤ僕はこれから行く所がある。君は新手の相手を選びたまえ。」
と言い、斜めに筆斎の方を眺めたので筆斎は早や彼が逃げ仕度なのを見て、すかさず声を掛け、

 「伯爵、今日は」
と言えば、彼も
 「今日は」
と冷淡に挨拶をした。相手は一同を知らないので、
 「イヤ、君が止すなら僕も止そう。何だかカルタ室が始まっている様だから、その方が面白い。」
と茶谷より先に去ったので、残るのは唯茶谷立夫一人。三人は言い合わさなかったが今こそは好い機会なので残らず茶谷の方を向く。

 彼は三人の来意を見て取ったのか、匆々(そうそう)に立ち去ろうとする様子が見えたので、何とか引き止めようと思ううち淡堂先生は先ず進み、
 「アア貴方は私の顔をお見忘れなさったと見えますな。」
 茶谷は聞いて打ち驚き、
 「一向に覚えていませんが。」
と言う。

 (淡)そうですね。お目に掛ったのは余程久しい前ですけれど。その場所が異な所であった為私は中々忘れません。
 (茶)「イヤそれは貴方の思い違いでしょう。私は更にお目に掛った覚えは有りません。」
ときっぱり言い切る口振りで察すれば、彼は全く淡堂の顔を忘れているのに違いない。そうは言っても心に数々の悪事蓄える人の常として油断すべきことではないと思った様に何処と無く不安心の様子が見える。淡堂は急がず騒がず、

 「そうですね、一度頭に怪我をすると誰しも記憶が失せますから。」
 (茶)エ、何と仰る。私には少しも分りませんが。
 (淡)「ハハアそうすると貴方はアルツ街の路地の角にある小さい家もお忘れになったと見えますな。」
と一言深く急所を突く。

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