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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 4.12

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如夜叉    涙香小子訳

                        第六回 

 犯罪人は貴婦人ですと探偵二人とも叫んだけれど、この外に何の手掛かりも無かった。ただあの絹服の裾の切れを大事に保存し一同と共に引き上げて行った。これより早や既に一週間が経った。ここに先ずその一週間の事柄を手短に記すと、両の目を焼き抜かれた彫刻師西山三峯老人は医師の手当てにて創(きず)の痛みは全く止まったが、悲しいことには生涯の盲目となり、いかなる医術の力でも到底療治の見込みは無しという。

 それで老人には今まで数人の弟子があったが、いずれも目の見えない師匠を頼みにしてもどうしようもないと言って翌日から銘々に他の師匠を選んで去った中に、唯一人踏みとどまったのは老人の一の弟子で家も無く親も無く幼い頃から老人の世話になって育った一書生長田長次(ちょうだちょうじ)と言う者だけだった。

 この長田長次は人は綽名(あだな)して、長々(ちょうちょう)と言い、自らも長々生と号して腕白豪放の男だがほとんど老人に劣らないほどの腕前があり、老人が作品競技会に出そうとして刻みかけた義勇兵の石像も自ら引き受けて仕上げようと言い、老人もこれを許した。しかしこの石像を仕上げると言うのは、唯彼長次の言い種(ぐさ)で実はその心の中にどうにかして師の眼を焼き抜いた曲者を捜し出し、師の恨みを報いると誓い、それに兼ねて聞く、

 「曲者は犯罪の成り行きを見届けに来るものだ。」
という言葉を信じ、遅かれ早かれ曲者自らこの家近辺に来る事もあるだろうと思い、例え来なくてもここにいれば様々なことを聞き出すにも便利だろうと深く心に決めて居るので一人踏み止まったのだとは知る人は誰も居ない。

 それはさて置き、三峯老人が犯罪の場所から巡査栗川に送られて家に着いたのは夜の一時過ぎだったが、娘亀子は父の帰りの遅いのを気遣い未だ寝ないで待っていると、とぼとぼと辿り来る父の足音を聞くより早く、その日頃の如く地を踏み鳴らす力の無いのに気付き、自ら戸を開けて出て来た。

 巡査が父と一緒なのを見て、さては我が気遣ったように酔い過ぎて警察の厄介になったかと巡査にその労を感謝しようとして唯一目父の顔を見、忽ち容易ならない禍が降りかかったことを悟った。実に亀子の嘆き悲しむ様子は傍で見る栗川巡査さえ、もらい泣きする程だったが、ようやく説き慰め、栗川はこれから時々探偵が模様を知らせに来るだろうと約束し老人を亀子に任せて帰り去った。

 そもそもこの家には老人と亀子の外に柳田夫人と言う亀子の伯母(母の妹)とお花と言う女中一人、それに僕(しもべ)一人あり、合計五人の暮らしなので、このような時にも人手に不足は無く、早速医師を呼びに薬屋に駆けつけさせるなど充分手を尽くした。

 老人がいよいよ生涯の盲目と決まってからは家内一同の落胆は並大抵ではなかったが、老人は元々気丈な人なので今となっても愚痴もこぼさず、溜息も発せず、全く諦め尽くし、この上は唯亀子の身を幸いにすることの外楽しみは無いと言い、今までは随分厳しい父であったが、これよりして小音も発せず、わが一身の不幸のため亀子にまで不幸をかけては亡き母にも済まされないので、亀子は今までの通り捨苗夫人の邸にも行き、知る人の交わりをも欠かさず、父の身に何の変わりも無いものと見て自由にせよと言う。

 確かに二十歳にも足りない娘に盲人の相手をさせ、手引きをさせ、面白くない月日を送らせるのは、親の情として忍びがたいところだろう。ただその胸の奥底には我が目を奪った曲者に仇を返えそうとの一念は火のように燃えているが、それさえも口に出しては亀子に憂いを掛ける元になると深く包んで面に出さないのは実に感心なことだ。

 災難の翌々日に及び、かねて亀子が我が夫にと見立てた彼の伯爵茶谷立夫は約束の通り訪ねて来た。老人は充分彼の人相を見ようと決めていたが今はそのことは叶わず、ただ話の声によって察すると、彼が声は良く老人の心を喜ばせるだけで無く、その言うことは一々に度に叶い、老人を憐れみながらも余りに哀れみの言葉を発しすぎて一座を窮屈がらせもせず、申し分ない一廉の紳士だと聞き取れたので、老人は彼が帰った後で亀子に向かい、

 「アノ婿なら充分俺の気に入ったから二人で随意に日を決めて、なるべく早く婚礼せよ。」
と言い渡した。亀子はぞっこん茶谷立夫を愛している事なので非常に父の許しを喜んだが、現在父が盲目となり一人歩きも出来ない先に、どうして婚礼の日を決めることが出来ようか。亀子が父を思う心は父が亀子を思うのにも劣らなければ、この婚礼は何時までも父が目を失った悲しみの消えるときまで延ばして置き、それまでは相変わらず茶谷に親友の如く交わろうと言って、亀子は婚礼の日を決めず、自ら父の傍にあって、食事には、はしを取らせ、歩むにはその手を引くなど、痒(かゆ)いところに手の届く様にいたわるのは親を敬う子の心が不幸に逢って益々現れ来たものに違いない。

 ここに又老人が初めて懇親会で逢い、亀子の夫にと思った春野耕次郎も約束のようにその妹を連れて翌々日尋ねて来たが、老人の怪我の元は全く我が身をラペー街迄送ったことから起こったことなので、我が為になったも同じ事だと亀子に力を合わせながら老人をいたわると、一方ならず亀子も兼ねて捨苗夫人の家で顔だけは見知っていたが、今は又その心気の優しいことを見て親身の兄を得たように打ち喜び、何事も耕次郎に相談する様、もし茶谷立夫が兼ねてから亀子の心を奪っていなければ、亀子は必ずこの耕次郎を愛するに至っただろうと思われるばかり。

 耕次郎も又老人を憐れむと同じく亀子の不幸を憐れむ如く、このままに打ち続けば我より先に許婚の夫が有るのを知らずして深く亀子を思い染めはしないかと気遣われるばかりだ。特に又亀子と耕次郎の妹鶴子は初対面のその日から不思議と言うほど心が合い、隔てを捨てて交わる様子は幼い頃からの知り合いでなければ真実の姉妹ではないかと疑われるほどだ。老人も又人の顔を見ることが叶わないだけ人の声を聞くのを楽しみ、

 「もう様々な人に来てもらうほどうれしいことは無い。」
と言い、耕次郎と鶴子を家族のように見なしている。これよりして耕次郎は日々銀行の帰りがけには必ず立ち寄り老人の話相手となり、夜に入るまで小説或いは新聞などを読み聞かせ、鶴子も又兄の留守を一人下宿に寂しく過ごすより、老人の家に来ているのが楽しいのでその内職としている、紙細工作り花の仕事道具を持って来て、老人が刻みかけた彼の義勇兵の巨像の下に座し、時々巨像の頭で鑿を使っている長々生長田長次とその顔を見合わせながら夜に入るまでも仕事をして、兄と共に帰って行くのを常とした。 

 以上が先ず老人の災難から一週間のうちに老人の家に起こった物事のあらましである。今日は即ち昼過ぎにして彼の鶴子は既に来て巨像の下で仕事をしているが、耕次郎は未だ来ていない。老人は亀子の読む今朝の新聞を聞き終わり、

 「アア、罪人が捕えられるまで警察署で注意して俺のことを世間に洩らさない為、新聞にも俺のことが出ていないのは有り難いが、それにしてもあの親切な栗川巡査が時々探偵の模様を知らせに来てやると言いながら、今もって音沙汰の無いのはどういうものだろう。」
と呟く折りしも、入り来る女中お花、
 「嬢様二人のご婦人が貴方を尋ねて来ました。」
と伝えた。

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