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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nyoyasha61

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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如夜叉              涙香小史 訳

                 第六十一回

 亀子は深く考えもせずにそのまま表戸に走り出ると、彼の腰掛に待っていた紳士は非常に嬉しそうに立って来た。亀子はじっくりと様子を見たが、年は四十も過ぎているのだろう、顔に親切な色を帯び充分信用できる人物だと見受けられるので、先ず少し安心して、

 「貴方が茶谷立夫から」
 (紳)はい、私は先年亡くなられた立夫の伯父の親友です。今日は余りに失礼の所業ですがこれも立夫を救うため、全く止むを得ません。実は既に六日前から毎日御家の前に立ち、今日漸くお目にかかることが出来ました。」
と言う。

 その言葉は非常に柔らかにして誠しやかだった。この紳士はなおも亀子を安心させようと思うように、
 「前から余所ながら三峯老人の物堅いご気質も承知ですし、一通りの事柄ではこの様な不躾は致しませんが、唯立夫の一命にもかかわることなので、私も少年とは違い、自ら妻子のある身ですから、それに免じても幾らか貴方がご安心くださるかと思い、わが子も同然な立夫に頼まれまして。」
と言う。

 妻子ある身と聞いて亀子は一層信用し、
 「ですが立夫は何故自分で来ないのですか。」
 (紳)ハイ、自分で来れるようならば何も面倒はありませんが。
 (亀)では病気ででもありますか。
と亀子は急き込んで問い掛る。
 (紳)いや病気ならばまだ容易(たやす)いのですが、貴方はご存知ないと見えますが、三峯老人の知り人中に非常に立夫を憎む者がありまして、それらが立夫と貴方の間を引き裂こうとし厳重に守っています。

 初め立夫は夜毎にこの辺りまで来ましたけれど、その者共に見付かっては又心にもない疑いを受けるだろうと思い、自ら控えているのです。上がりたくても上がれません。
 (亀)ですが手紙には一度会ってくれと有りましたから、私は又立夫が何処かこの辺まで来ているかと思いましたが。
 (紳)それはごもっともですが、参って往来で話しをしては今申しました通り何(ど)のような疑いを受けるかも知れず世間の噂もありますから、それはなるべく慎むのが好いだろうと思い。

 (亀)ではどうすれば好いのです。
 (紳)誠に申し上げにくいのですが貴方を自分の居るところまで御連れしてくれと言うのです。イエ何に彼の家では有りません。立夫は何よりも貴方の名誉を重んじますから未だ婚礼も済ませない内に貴方を我が家に御連れ申すなど、その様な失礼は申しません。お目に掛かるにも他人の口端に掛らないように立派な貴婦人を立ち合わせて、イエ何その貴婦人と申しますのも貴方がご存知のお方です。実は捨苗夫人です。
 
 (亀)では捨苗夫人が直々に立夫の使いになりそうなものですが。
 (紳)ハイそうは立夫も言いましたけれど夫人も何度か貴方を訪ねましたが、その度に面会を謝絶されましたから。
 (亀)イエそれは私が病気の為、一切の人を断っていたのです。今ならば直ぐにお目にかかりますが。
 (紳)いや初めて貴方を立夫にお逢わせ申したのも捨苗夫人だと言う訳で、夫人は矢張り三峯老人から謝絶されていますので。
 (亀)では私を捨苗夫人の所まで来てくれと仰るのですか。
 
 (紳)そうでも有りませんと。夫人は既に三峯老人が立夫を謝絶したことを知り、それを自分の家で逢わせては老人に済まないという遠慮から立会人にはなるけれど、自分の家では御免蒙りたいと言うのです。これももとより最もな次第ですから、立夫も私も強いてとは申し兼ね、終に捨苗夫人と同じ信用のアル某貴夫人の家でお待ち申すことに致しました。

 (亀)某貴夫人とは。
 (紳)ハイ貴方もご存知の軽根松子夫人です。
 亀子は今も未だ松子夫人の恐ろしい履歴は知らず、ことに我が父が松子夫人を打とうとして誤って我を傷付けた次第さえ聞いたことが無く、唯柳田夫人の話で我が身が傷を負ったのは父が細工場で徒然の余り昔覚えた撃剣の真似事をして居た所に降りて行った為だとのことを固く信じるだけで、松子夫人を憎むなどの心は更に無いけれど、何分にも夫人とは親しみも深くなく、その上夫人の家には一度も行ったことがないので、流石に女のこの姿で行くことも出来ないとしばらく躊躇(ためら)い決することも出来ないでいると、彼の紳士は様子を見て早くも非常に失望の色を浮かべ、

 「ああそれではどうしても立夫を自分の望みどおりに任せて置く外はありません。」
と言う。その心は立夫に自殺させる他は無いというのにあるように紳士はこうつぶやいて、そのまま静々と立ち去ろうとする。その目の中には涙さえ浮かべた様子なので亀子は我慢が出来ずに引きとめ、

 「ですが、立夫はどうすると言っています。」
 (紳)「イヤそれは私の口からお話申せば何となく貴方を脅してお連れ申す様に聞こえますから、私の口からは申されません。貴方にまで疑われるのは立夫の不運と言う者ですから、もう何もかも諦めさせるだけです。」
と落胆した言葉を聞き、亀子は腸を断つ思いで、

 「では貴方からどうか立夫に私からの事葉だと言って短気な事をせずに明日まで待てと仰ってくださいまし。今日のうちに私から委細のことを父に話し、明日中に立夫まで手紙を遣りますから。」
 紳士はなおも落胆の様子で、

 「いけません。そう言った所が同じ事です。立夫は必ず私が貴方に会うことが出来ないため一日一日言い延ばすためにその様な事を言うのだと思います。今までもその様な事は何度も言い、終に今日という今日は何と云っても聞きませんから、兎に角夕の六時までには貴方のお伴をして帰って来るとこう言ってやっと彼に思い留まらせて来たのです。貴方がもし彼に短気をさせまいと思えばなぜ貴方御自分で私と共に松子夫人の住まいまで同道して下さいません。軽根松子夫人と捨苗夫人の立会っているところで茶谷に会えば人知れず忍びあったと言うのではなし、誰に聞かれても恥ずかしくは有りません。あそこに居るのは私の馬車ですから、唯一時間の内に貴方をここまでお送りします。猶その時は私がご一緒に三峯老人の所に行き、これこれの次第であったと詳しく申して上げましょう。」

と真実の色を浮かべて熱心に述べ来るその言葉の間にも非常に重々しい所もあり、我が言葉通りにして遣らなければ立夫の命がどうなる事かと、かつ恐れかつ失望する様子が誠しやかに見えるので亀子はここに至って全くその心を動かし、

 「では御一緒に参りましょう。その代り一時間の内に貴方が送り届けてくれなくてはいけません。」
と言う。紳士は非常に満足の様子で何度も礼を述べ、待たせてある馬車を招いて首尾よく亀子をこれに乗せた。三峯老人の家内の者は夢にもこれを知らなかった。

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