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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nyoyasha62

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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如夜叉              涙香小史 訳

                  第六十二回 

 亀子が乗った馬車は彼の紳士の指示に従がい一散に駆け始めモンジョー公園の方に向って行くので、亀子は少し怪しんで、
 「オヤ、軽根松子夫人はアンジョー街に住んでいると聞きましたが。」
と言う。
 (紳)そうです。此の頃まで同所に住んでいたと言いますが、数日前に引っ越しました。
 (亀)エ、何処に、
 (紳)ネリーの近辺へですが、何、道はこの御者が覚えています。

 (亀)その様な遠い所とは思いませんでした。
 (紳)イヤ御心配には及びません。この馬車は馬が達者ですから行って帰るのに手間は取りません。
 (亀)貴方は一時間で済むと仰(おっしゃ)いましたが。
 (紳)そうです。行きが二十分、帰りが二十分、残る二十分が立夫と貴方の面会時間ですから、お話の長短に従がってどうともなります。

 (亀)それで面会の間は貴方も傍にいて下さると仰ったかと思いますが。
 (紳)それはもうこうしてお伴を致す上は貴方の保護を任されて居るのも同然ですからお望みとあればお傍にも就いていましょう。兎に角捨苗夫人は立ち会いますから。
 (亀)それに軽根松子夫人も立ち会って下されますか。

 (紳)「ハイ、これも貴方のお望みならば立ち会います。既にその事を承知して居りますから。」
とこれだけ聞いて亀子は暫し無言になったが、軽根夫人は別に立夫とは長い知り合いでは無いはずなのに立夫のために立会い人となる事まで承知したとは少し怪しいので口の中で、
 「軽根夫人と茶谷とはそれ程親しいとは思いませんでしたが。」
と言う。紳士はその意を覚ってか直ぐに言い繕おうとする様に、

 「そうですとも、先だって捨苗夫人の家で会ったのが初めてだと申しますから、親しいと言ったところで未だ年月は経ていないことですし、勿論立会人に頼むの、その家を貴方との面会の場所に借りるのなどと言うはずは無いのです。ところが唯不幸にも立夫の敵が彼の事を三峯老人に讒訴した中に松子夫人のことまでしかじかと言い、何やら立夫と組合ででも有るかのように誹(そし)ったとやら申します事で。まさか貴方がその様な讒訴を誠だとはお思いなされないと思いますが、それにしても松子夫人は少しでも貴方に疑われるのが辛いから成るべくは立夫と共に貴方に逢って言い開きがしたいと言うのです。特に又立夫の身に取りましても、自に汚れのない事を言い開くには松子夫人に同席を頼む方が好都合と申しまして。」
と言葉巧みに言い開く。

 若し世故に慣れた人ならば言葉の中にすら幾らかの怪しむべきことがあると気付くところだが、亀子は心ここにあらず、唯立夫と面会のことを彼これと思い回すのみなので、問い返そうとする風も無く、そのままに口を閉じた。傍にある彼の紳士も成るべくは言わぬにしかずと思ったのか再び言葉を発せずに、唯もっともらしく悲しそうな顔色を装うだけ。この紳士そもそも何者なのか知らないが、この様な頼まれ仕事には充分な経験がある人のようだ。

 このようにしている中に車は進み進み早や公園を過ぎ去って亀子がかって見たこともない場所に入り、人通りは非常にまれな狭い町々を掻き分けて行く。それに日も次第に暮れ夜色朦朧と立ち込めてきたので、亀子も薄気味悪くなり、我が一身の運命は今この名も知らない一紳士の手の中にあると思えばほとんど身震いするほどだが、立夫が信認して寄越した人だから、まさか間違いも無いことだろうと強いて自ら安心を求めた。

 既にして馬車は益々狭く益々淋しい所に進み初めて、乗った時より最早三十分も経ったと思う頃、とある門口に着いて留まり、紳士は亀子を助け降ろした。ネリーというのは非常に広い地方なのでここはその中のどの部分に当たるのか亀子は空しく辺りをのみ見回したが目に留まるものとては風に動く立ち木のみで聞こえるのは闇に鳴く梟の声があるのみ。

 門の中にも明かりは見えず流石に気味悪さに耐えられないので、初めて自分が一緒に来たことを後悔したが、今は事既に遅い。退くにも退かれず、僅(わず)かに震える声を絞り、
 「ここは何という所です。」
 (紳)「お約束のネリーです。この門が即ち松子夫人が此の頃買い入れた別荘の門で中々奥深く出来ていますから、中の家は未だ見えませんが、その代り実に閑静な所です。」

 アア閑静とはこのような恐ろしそうな所だろうか。
 (紳)サア参りましょう。私がお手を引いてあげましょう。
 差し出す手を拒むこともできず亀子はこれに寄り掛かってよろめく足を踏みしめながら進み入る。アア浮世を遮る扉一枚奥は毒蛇の住家ぞと知る由もなく、引かれて行く身こそあわれである。

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