巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nyoyasha65

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 6.11

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如夜叉              涙香小史 訳

                  第六十五回 

 父のことまで話したことを悔い、亀子が当惑する様子を立夫は早くも見て取って、
 「イヤその様な心配には及ばないことだ。なる程その筋へ訴えれば人を傷めた罪にも成るだろうが。誰も三峯老人を訴えるとは言わないから、松子夫人も素性もない悪人等の言うことを気に留めて警察に持ち出すなどはしたないことはしない。まずその様なことは置いて何より先に聞きたいのは和女(そなた)の心だ。私も老人に出入りを留められて見れば夫にするのを断られたのも同然だが、何しろ和女の口から心が変わったら変わったと直々聞かなければ諦めが付かないから、サア、和女の心を聞かせておくれ。もうとうに変わったのかえ。隠すだけ一層罪というもの。どうせ出来ないものとあれば私も何時までも苦しむのは嫌だから言って呉れる方がかえって有難い。そうすれば又仕様もある。」

 との言葉には生きて失望に苦しむよりは死して苦しみを逃れるとの心を込めた様に聞こえたので、亀子は声を震わせて、
 「なぜその様なつまらない事をおっしゃいます。貴方と私はもう婚礼まで決めてあるではありませんか。父が貴方の出入りを留めたかもしれませんが、私へはその様な顔色も見せません。」
と意外な返事に立夫は気抜けした様に、
 「エその様なことはないでしょう。」

 (亀)イエそうですよ。私が怪我をしてから未だ貴方の名前さえも父の口から聞かないほどですもの。体が元に戻りさえすればいつでも婚礼の出来るものと私は思っていますが。
 (茶)それは何より有難い。
 (亀)ですが今夜は大変遅くもなり今頃は父もきっと私のいないのに気が付き心配していましょう。これだけのことが分かればこの上長居はできませんから、これでもう帰ります。アノ私を迎えに来てくれた紳士は何処にいますか。私を送り届けてくれる約束ですが。」

と早くも発ち帰ろうとすると、立夫の目的はこれだけの返事を聞くのにはなくて、亀子を引き捉えて今夜のうちに出奔する考えであるので、彼は又失望の声を発して、
 「オイ、和女、これだけで帰る気かえ。それでは来て呉れただけ、仇と言うもの。これで帰れば二度と再び会われるはずがないから、私を失望に死なせるのも同じ事だ。」

 (亀)貴方は何をおっしゃるのです。私と今夜父の所まで行こうではありませんか。
 (茶)行ったとしても阿父(おとっ)さんはもう私に会わないと言うに決まっているよ。悪人に騙されて出入りまで留めたほどだから。
 (亀)「何そのような悪人は有りません。貴方が悪人と言う長々もまだ父と一緒に居ましょうから、貴方もその前で言い開けば好いではありませんか。父が貴方に会わないと言っても私が良く言い付け必ず会うように致しますから。それに松子夫人もお望みならば同道下さって共々に父に言えば何彼も分かるでしょう。」

と道理を押して言い来たれば、松子夫人はどうせ一通りでは行けない場合と見、癪に障った面持ちを見せ、
 「私は長々などに何事を言われてもそれを取り上げるのはかえって恥ですから。私の身と長々の言葉とどちらが世間に信用せられるか、自分で言い開きなどは致しません。」
と言い、そのまま立って横柄に二階へと上り去った。

 その時茶谷に目配せして、
 「こうなった上は手込めになさい。」
との念を通じたけれど、亀子はそれを知る由もない。
 今は亀子の身はただ一人茶谷の手の中にあり、殺すも活かすもほとんど彼が心のままである。
 亀子もここに至っては薄気味悪くなってきた。初めに捨苗夫人も立ち会うと言ったその約束も違っているばかりか、茶谷と差し向かいに残されて、ことに茶谷は失望に気も狂ったかと疑われる有様である。これを思えば我が愛する男ながらいかなる目に会うかもしれないと益々恐ろしさを加えて来た。

 亀子は一足一足出口の方に寄って行くと、茶谷はにわかに目の色まで変えて来て、その行く手に立ちふさがった。
 (亀)そこを通して下さいな。帰らなければなりませんから。
 (茶)言うことを聞くまでは帰されない。
 (亀)何をおっしゃる。貴方は何うすれば好いのです。
 (茶)和女の体を貰えば好いのだ。
 (亀)エ何ですと。

 (茶)このまま帰せば又悪人の手にかかり終には春野耕次郎とかいう奴の妻にされるに決まっているから。
 (亀)その様なことがありますものか。
 (茶)何でも私の妻にする約束だから留めて置いて妻にするのだ。
 (亀)では父の承知も待たずに婚礼をすると仰るのですか。
 (茶)「今になって父の承知など要るものか。既に一度承知した上ではないか。それに和女を殺そうとする様な邪険な父の下には返されない。今夜一夜ここに泊まれば、明朝明けないうちに汽車に乗り明夜のうちにマルセイユから船に乗るのだ。スミルナの叔父も日々寿命が迫っているからもう一刻も猶予は出来ない。サア今となっては嫌とは言うまい。」

とほとんど飛びかからん剣幕である。亀子も今は必死で、
 「父に暇を告げずこの国を立ち去る程なら私は死んでしいまいます。」
 (茶)「何だ、この茶谷に恥をかかせるのか。好し、好し、そう言う気ならこちらもその気だ。一時間と経たないうちに和女に承知させて見せる。」
と言い両手を開いて寄って来てそのまま亀子を抱きすくめようとする。

 亀子は逃れるにも逃れられず、どうしようかと忙しく見回す眼に映ったのは先ほど立夫が自殺しようとして亀子が来たのを見て床の上に投げ捨てた彼のピストルだ。これ幸いと慌ただしくも取り上げて有無を言わず我が胸に押し当てた。

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