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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nyoyasha71

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 6.17

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如夜叉              涙香小史 訳

                 第七十一回 

 長々は『松あ坊』が四苦八苦の声を後に聞き、直ぐに春野耕次郎とお紋の立っていた店先に走って来て、
 「この通りの有様では春野さん、貴方も今夜三峯老人の所を訪ねるわけにも行かないでしょう。私もここにいて出張する巡査の尋問に答えなければなりませんから、老人の家に行くのは明夜まで延ばしましょう。貴方は部屋に帰って鶴子さんを見て上げなさい。お紋さんもここにいては巡査の来た時面倒だから、早く編み物を届けた上、家へ帰った方が良いぞ。」

と一々指図して更に帳場の者を呼び、事の次第を警察に通じさせるなど事落ちもなく計らったが、やがて巡査の来た頃は、『松あ坊』も全く息絶えて人々に迷惑を掛けるごとき毒語を放ちはしなかったから巡査もこの恐ろしそうな女が何者なのかをを知ることが出来なかった。

 又何が為死んだのかを察することが出来なかったが、ただ長々の言うことに間違いなさそうだと見て、言い立てるだけの事を書留、更に医師まで出張して体中検めたが『松あ坊』の身には書類あるいは名札のごとき物も全くなく、ただ紙幣や公債の類を取りまぜて十万余フランのものがそのポケットから出てきたので、長々は心の中で、この金子が即ち茶谷立夫の公証人に示し、亀子との縁談を首尾よく行わせようとしたその資本の残りに違いない。今夜これだけを懐中に入れて来たからには既にネリーの別荘を引き上げ、今夜のうちに外国に出発しようとして、行きがけの駄賃にこの店立ち寄ったものに違いないと見て取った。

 巡査はこの様な事を総て知らないので、ただ規則の通り住所も姓名もはっきりしない行き倒れ人同様にルーモルグにある死人陳列所に晒して置く以外はないとし、そのまま死骸を運ばせて行ったと言う。

 これで今まで西山家を騒がした悪人の片割れ松子夫人は片付き終わり、残るはただ茶谷立夫一人である。この翌日の正午十二時頃の事であるが、画工(えかき)筆斎はクラブで相見(あいまみ)えようと茶谷に約束した言葉を守り、それぞれの支度を定めて一人クラブの門前に行き、最早長々も来る刻限だがと左右を見回して待つうちに長々も約を違えず医師淡堂先生を引き連れてここにやって来た。

 筆斎はその顔を見るなり、
 「長々君、君は酷いよ。昨夜僕に待ちぼうけを食わせてさ。僕はもう三峯老人の家で君が春野耕次郎を連れてくるだろうと思い十二時まで待っていたぜ。」
 (長)「イヤそうだろうと思ったから僕も耕次郎を引き連れて出かけようとしたところ、実に意外な出来事が始まって。」
と言ってこれから彼の『松あ坊』の一条を掻い摘んで物語ると、筆斎も驚いて、

 「おやおやそれはそれは実に大変だったね、だが『松あ坊」は死ぬ前に何か言ったろう。』
 (長)言ったよ。この恨みは茶谷が晴らすからそう思えと
 (筆)それだけかえ。
 (長)中々これだけではない。まだ毒々しい言葉を吐いた。君がネリーで亀子嬢を救ったのはあとの祭りで、それまでに早や立夫が亀子の肌を汚したと。
 (筆)それは大の偽りで、僕が行ったとき亀子は手にピストルを持ち茶谷と争っていたのだもの何で肌身を汚されるものか。でもその言葉が春野耕次郎の耳に入れば。

 (長)イヤ大丈夫、僕より他にその言葉を聞いたものはいない。
 (筆)それは好かった。したが『松あ坊』の死骸はどうした。
 (長)僕が何事も喋らないから巡査も一切の訳を知らず、通例の行き倒れ人と同様にしてモルグへ晒しに持って行ったのさ。
 (筆)でもモルグへ晒して置けばその中にだれか『松あ坊』を知った者が見に行きはしないか。
 (長)その心配はないよ。顔がめちゃめちゃになっているから誰も『松あ坊』とは気がつかない。この様な次第だから僕の考えでは茶谷も昨夜のうちに出奔してしまっただろうと思い、今日はその次第を君に知らせるためにここに来たのだ。

 (筆)所が茶谷は大違い。我々より先にこのクラブに来て待っているよ。
 (長)そのようなことはないだろう。
 (筆)イヤ僕は君等の来るのが遅いから今しがたクラブの玄関で問うて見た。そうしたら茶谷は二時間も前から来ているということだから、僕は君たちの来るのを待ち、且つその間に茶谷が逃げないようにと思い、この通り門前で張番をしながら待っていたのだ。
 (長)そうか、それでは直ぐに入って彼に会おうじゃないか。

 これにて三人はクラブの門を潜ったがなおその本堂まで歩みながら長々は筆斎に打ち向かい、
 「時に昨夜三峯老人の家の首尾はどうだったね。」
 (筆)極々の上首尾さ。亀子嬢が一部始終を話した者だから老人は初めて茶谷の性質を知り、己(おのれ)が目さえ見えれば直ぐにこれからネリーまで押しかけて行き、彼奴(きゃつ)の生き首引き抜いてくれるけれどと言い、僕に向かっては拝まないばかりに礼を言った。それに又亀子も、もう茶谷には全く愛想を尽かしているから。

 (長)そうすると耕次郎の目的は故障なく通りそうだね。
 (筆)それは勿論だ。僕が十分にその道を開拓して置いたから。実はね、昨夜来なかったのは少し機を失った傾きがあるけれど、ナニ今夜でも好い。行きさえすれば事に由ると老人の方から婿になってくれと言い出すかも知れない。
 (長)それは何より有難い。実はね、今朝も来掛けに耕次郎の許を訪ね、何時でも僕から沙汰があり次第に老人の家に行くという事に決めてあるから、これから茶谷の方を片付ければ直ぐ僕から知らせてやろう。」

 今までも無言で控えていた淡堂先生は初めて口を開き、
 「何しろ我々の大の急務は茶谷の処分だが君達は彼をどうする積もりだ。まさかあのような悪人と決闘もできないだろう。」
 (長)「しかし茶谷が約束通りこのクラブに来ているところを見ると彼は外国へ逃げるより我々と決闘をする気に違いない。」
と言ううち早や玄関を登って彼の給仕大糟の姿を見つけたので、筆斎は早くもこれに向かい、

 「茶谷が来ているというが何処にいる。」
 (大)撃剣室にいますよ。
 (筆)何、撃剣室に。
 (大)ハイ、毎朝撃剣の先生が来て誰でも会員中望みの者に稽古をしてやる決まりですが、この頃は歌留多が流行(はや)るため誰も稽古に来るものがなく毎朝先生は空しく帰るばかりですのに、今日は茶谷が二時間ほど稽古しました。ですがもう多分稽古も済んで食堂に行くのでしょう。

 この異様な返事を聞き一同は愈々(いよいよ)茶谷の目的を察し、思わず目と目を見合わせた。

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