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nyoyasha75

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 6.21

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如夜叉              涙香小史 訳

                第七十五回 

 決闘の条件がここに決まったけれど、一人筆斎は初めから不賛成なので益々心配の思いを深め、何とかしてこれを止める工夫はないかと密かに思い煩(わずら)う様子がその顔に現れたので、長々はそれを察して筆斎を片隅に呼んで行って、
 「君、そのように心配するけれど、詰まるところはこれが一番の近道だよ。彼があの通りしらばくれて外国へ行かないと言うからは、最早警察へ引き渡すほかはないが、警察へ出して見給え、彼は得たり賢しと根もない事を言い立て、亀子や三峯老人の名誉を傷つけるに違いない。」

 (筆)それはそうでもーーーー。
 (長)「して見ればもう決闘は止むを得ない。殊に彼は僕の横面を殴ったではないか。彼は既に決闘の積りでこの様な事をする。これを見逃せば更にどの様な失敬な事をして我々を辱めるかも知れない。遅かれ早かれ決闘は免れない。どうせ決闘するものなら野外に出て公然とするよりもここで秘密にするのが良い。公然にした日には後でその事情を人に問われ、またまた世間の噂になるから、兎も角ここは僕に任せてくれ給え。」
と熱心に説き立てたが、なお十分には進まない様で、

 「秘密の決闘で人を殺せば随分罪が重いから」
 (長)なに君彼奴(きゃつ)は殺しても足りない悪人だ。それにまたここで勝負すれば撃剣の稽古が過って怪我をしたといえば重くて僕だけが一週間も拘留の上放免されるくらいで済む。
 (筆)君はそう言うけれど我々がここに撃剣の稽古に来たのではなく、茶谷と談判に来たことは大糟が知っている。彼は殊に亀子と茶谷の間柄から我々が茶谷と戦端を開いていることまで十分に知っているから、この秘密は必ず彼の口から漏れるが。

 (長)何、幸い僕は茶谷に勝った大金が残っているからそれをやれば大糟は他言はしない。
 (筆)それは先ず好いとしても、君がもし殺されたらどうする。茶谷が決闘が上手なことは何時かも話した通り、随分名高いほどの者だ。殊に彼が君を怒らせ決闘を吹き掛けるのも、自分が勝つのが目に見えているからの事。君を殺した後は順順に残りの者へ決闘を申し込むのに決まっているが、我々皆彼に殺されなければなるまいか。

 (長)その様な事を言い給うな。僕だって春野鶴子と結婚するに決まった体で、むざむざ命を捨てるものか。腕に覚えがあればこそそう言うのだ。まあ見ていたまえ、僕は体にカスリ傷も受けず立派に彼を殺して見せる。君は僕が数年来撃剣の稽古をしていることを知らないからそう言うのだ。茶谷もそれを知らないから決闘を言い出したのだ、僕はアリネーの道場で今は一の弟子と迄言われているよ。嘘と思えば淡堂に聞き給え。彼は稽古でけが人があるたびにその道場に迎えられるから知っている。彼は僕が必ず勝つものと思い、安心しているじゃないか。

 (筆)それはそうでも勝負は時の運と言うもの、それに向こうは稽古着を付け、胴から腕まで囲っているではないか。
 (長)だからなお更撃剣の真似事と言う口実が通るじゃないか。両方とも上着を脱ぎシャツとチョッキだけとなっていては誰でも稽古とは思わない。イヤその心配も無用無用、彼が幾ら稽古着で固めていても、突くところは幾らでもある。殊に僕の大得意の手で誰も防ぐことが出来ない突き方が一つある。丁度また僕の狙う所が空いているから極幸いというものだ。初めて僕と手合わせをする者でその手に掛からない人はいない。見て居給え、見て居給え。

と手際の程を説き聞かせるので筆斎は漸(ようや)くその気になり、
 「では遺憾ながら君の言葉に従がおう。それにしても万一君が殺された時の用意に何か言置く事はないか。」
 (長)何もない。唯どうか鶴子嬢に死に際までも嬢の事を思っていたと言ってくれ給え。
 (筆)ただそれだけか。
 (長)それだけだ。

 相談が将に終わろうとする頃、今までも後ろの壁に凭れて我が勇気を養っていた茶谷立夫は待ち遠しく思った様に、
 「何時までお手間が取れますか。」
と問う。
 (長)イヤ直ぐに好いのです。
と言いながら長々は筆斎、淡堂に目配せをすると、二人共介添え人の積りで淡堂は先ず入口の戸の所に行き、外から他の人が入ってこないように用心に取り掛かり、筆斎は双方の刀を検めようとする。

(長)「イヤその様な儀式には及ばない。かく見たところで両方の剣 が似通っているから伯爵も異存はないでしょう。」
と言いながら室の真ん中に進み出て、
 「サア伯爵おいでなさい。淡堂君も筆斎君も十分に秘密を守る約束ですから他に心配することはありません。」
 茶谷は静々と歩出ながら、
 「筆斎君と第一に闘わないのが残念だ。」
とつぶやけば長々は聞きとがめて、

 「今更その様な愚痴をこぼしても始まりません。先ず私からお殺しなさい。」
 茶谷が撃剣の腕前は長々に優っているのだろうか。劣っているのだろうか。愈々(いよいよ)剣を以て闘った上でなければ知り難いけれど、ただ決闘の場数を多く踏んでいるのは誰も知っている事実だ。流石に彼はその辺の心得があるだけに先ず敵の心をいら立たせようと思う様に容易には身を構えない。

 長々は又急き立て急き立て、
 「待って居ますよ。急に怖気が付きましたか。アア私の小指にあるこの指輪が気にかかると見えますね。これはもともと貴方の品だから勝った上で私の死骸から抜き取って行くのは勝手です。」
と嘲(あざけ)ると伯爵は別に騒ぎもせず唯好い時分と思った様に足を踏んばって剣を構え長々の持っている剣とその先を交差した。

 この時の長々の姿を見ると両足とも確かに踏み、頭を仰ぎ向けて胸を開いた様はこの道の先生なり。筆斎は感心して、
 「成程、これでは自慢を言うはずだ。」
と呟き、淡堂は日頃の手際を知っているので別に怪しむ風もなし。

 二人は恰(あたか)も地から生えた者のようにしばらくの間は動きもしないで言わず互いに睨み合うのみだった。
 両方共軽々しい敵ではないと思ったようだ。

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