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nyoyasha77

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 6.23

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如夜叉              涙香小史 訳

                 第七十七回 

 長々、淡堂、筆斎の三人は何時でも裁判所の呼び出しに応ずべしとの約束でその場限り放免されたので、各々我が宿へと帰ったが、そのうちの長々は直ちに三峯老人の許に馳せつけ先ず昨夜、『松あ坊』が自殺した事を述べ、次に今日茶谷立夫が死んだ事を話すと老人は『松あ坊』を我が目を潰した敵として付け狙い、それがために最愛の娘亀子まで傷を負わせたことなので、喜ぶこと限りなく、茶谷も一旦我が婿とまで決めた男なれど、今はその気質の悪くして、その上敵の片割れなのを知ったので老人はこれをも別に悲しまず、

 「何しろ悪人の滅んだのは俺のため、又世間のためだ。」
と言い、是等の次第は総て老人から亀子に話すべしとのことなので、長々は更に又春野耕次郎の許を訪ね、兄妹二人に一部始終を告げ知らせた。これで先ず一段落付いたと思ったが、警察の報告を聞き取った予審判事に於いて、撃剣の過ちとは見なし難い所があると言い、長々、淡堂、筆斎の三人を代わる代わる呼び出して、厳しい取り調べを始めた。

 三人の申し立ては兼ねて打合せしたところなので恰(あたか)も符節を合わすごとくなれど、判事はなおこれを信じず取り調べ、凡そ4、5日に渡って事が益々面倒になろうとする様子なので、長々は改めて今までの事の次第を残らず三峯老人に打ち明けると、老人は唯撃剣の過ちとのみ思っていた茶谷の死亡が過ちにあらずして実は計画に計画した決闘だったことを知り、驚くこと限りなかった。

 その様な訳があるなら、判事を欺かんとすることは大の心得違いで、我が家の名誉を構うべきではないので、何もかも判事の前に有りのまま言い立て、罪を待つべしと忠告した。長々もこれまで師家の名前を汚さない様にしたいと思えばこそ心苦しい作り事を述べたのだ。

 老人のこの言葉を聞いた上は何か厭わんと言い、直ちに筆斎、淡堂に相談し、両人の同意を得た上、予審判事を訪ねて行って、更に村越お鞠の殺された時から話し始め、茶谷が『松あ坊』と語らって亀子の結婚資金を奪おうとした事、及び長々が疑いを抱いて探索を始めた結果を順順に残りなく言い立てると、判事は驚きの眼を開き、これより又も再審を始めたところ、証人は非常に多く、春野鶴子、春野耕次郎、西山三峯、西山亀子は申すに及ばず、貧女お紋も古着商であるお皺婆も皆呼び出されたが、証人の言うところは少しも長々の言葉に違いがなかった。

 なおクラブの給仕大糟は茶谷に頼まれて亀子を誘き出した次第を尋問され、巡査倉地は栗川と共に公園でインド人(長々)が乞食夫人『松あ坊』と踊るのを見たことがあるかと問われ、いずれも有りのままを答えたので、凡そ二週間ほどにして事は全く明了になった。

 後にて思えばこの取り調べは唯予審廷だけで行われ、少しも世間の噂にならなかったばかりか、春野兄妹に長々の働きが一方ならざりしことを知らせ、亀子には茶谷が益々悪人だったことを会得させたので却って一同の幸いだった。判事はこれにて長々等一同に関する疑いは全く解いたが、なお茶谷と村越お鞠の間柄、及び『松あ坊』の事柄などには多少分からない所もあると言って、ハスマン街の茶谷の宿に出張し十分の探索を施したところ、数年前の日記帳及び古手紙の類若干を見出した。

 これを読み検めて見ると、村越お鞠がまだときめいていた頃、茶谷に金子を封じ込んで送った物もあり、又数年経ての手紙には茶谷が『松あ坊』を愛し始め、村越お鞠を見捨てたことにより、お鞠が痛く恨みを述べたものもあり、その最後の一通はお鞠が殺される三日前に茶谷に送ってきたモノにしてその文句を抜き出すと、

 「これ人でなしよ。手前はな今までも逃げ隠れ、これでこのお鞠を振り捨てたと思うだろうがお鞠はその様な易易と捨てられる女ではない。知っている。知っている。手前がその後の行いは皆知っている。手前の隠れている家も知っている。お鞠が見えつ隠れつ付き纏っていることを知らないのは手前が愚かと言う者。

 女には恨みの無い者と思うのか。長年お鞠の世話になり小遣い銭までもお鞠に貰ったのを忘れるのは恩知らず。少し都合が良くなったと思い、お鞠の許へ寄り付かないのは人でなし。人でなし。人でなしの茶谷よ。手前は指輪をどうしたか。お鞠の名前で質に置き十フランの金を借りた事を忘れはしまい。お鞠はな、真逆の時の用意と思い、今まで年々利上げして質屋の切符持って居る。伯爵の被り物と手前の家の金言を彫りつけたあの指輪がものを言うぞ。

 誰でも手前とお鞠を他人とは思いはしない。世間の人もお鞠の亭主だと思う。手前は夫婦約束を忘れたか。見ればこの頃は大きな面で捨苗夫人の家へ出入りする様子だが、定めし持参金のある女を見初めたであろう。それも知っている。パチノール街の彫刻師の娘だ。お鞠は一昨夜手前の後を尾(つ)け、捨苗夫人の庭に忍んで窓から客間を覗いて見た。手前がその娘の機嫌をとっているところを見届けた。

 その時直ぐに飛び込んで毒ついてやろうかと思ったが、お鞠には情けがある。自分の亭主に恥をかかせるでもないと思い虫を殺して帰って来た。それだから、翌日直ぐに昔の通り夫婦になれと穏やかな手紙を遣ったのに、手前は何の返事もしない。手前の根性は分かってしまった。そうだろう。そうだろう。昔恩になった女より後後ためになる女が手前のためには大事だろう。大事ならば大事にせよ。

 お菊には虫がある、手前があの女の家へ踏み込むのを待ち、暴れ込んで再びその家に行かれないように散々に恥をかかせてやる。手前が人の家に泥棒に入り窓から落ちて怪我をしたことも並べてやる。段段の不人情も並べてやる。悪女『松あ坊』のことも話してやる。『松あ坊』もこの頃外国から帰り貴夫人面をしてアンジョウ街に住んでいるけれど、あれも昔からの悪事をお鞠に知られている。何時まで貴夫人面をさせて置くものか。

 手前があの娘の家へ訪ねて行く日は手前と『松あ坊』とが面の皮を剥がれた上警察に引き立てられる日だからそう思え、それとも、もう恐れ入っったか、恐れ入って後悔しお鞠の許へ詫びて来ればお鞠は何時でも手前の罪を許してやる。お鞠はこれまで様々な浮き苦労をした甲斐に大分貯金も出来たから、手前と『松あ坊』相手にし喧嘩しても負けないぞ。」
等の恨みの文字を並べてあった。

 これにて一切明らかに分かった。立夫はこの手紙に驚いて直ちに『松あ坊』と語らい合わせ、偽ってお鞠に詫びを入れ、その機嫌を取り、なだめすかしてアルツ街の家に引き入れ無残にも首り殺した後の始末を『松あ坊』に任せておき、己は先に家に逃げ帰ったものだ。もしこの時立夫がお鞠を殺さなければ老人が目を潰されるような不幸も無かったに違いない。

 その代わり立夫が初めて亀子の許(もと)を訪ねた日にお鞠は構わずその家に暴れ込み、恥を亀子にまで及ばしたろうが、しかし又老人が目の潰れた彫刻師になったため『松あ坊』の顔を探り、目に見えない横傷を指先で知るにも至り、又過って亀子を傷付けるなどの不幸を来すにも至ったのだ。「禍も幸い」の譬(たとえ)に漏れず、この災いがあったために亀子が迷いの夢が醒めて、悪人茶谷の代わりに末頼もしい春野耕次郎を愛し始め、続いては又長々も鶴子の心を得る程に身の働きを現すべき機(おり)を得たのだ。実(げ)にも浮世は組み入り重なり合ったものと言うべきだ。

 これらの事は今となっては総て過ぎ去ったことだ。これより半年を経今年の春に至り、亀子と耕次郎、長々と鶴子は目出度く婚礼の式を挙げ、耕次郎は勤勉により、又亀子の婚資により銀行の雇い人から組合人に進み、長々は老人の得意客を引き受け彫刻の業が繁盛しているので最早や豚屋の看板を刻むにも及ばずという。その他この篇に出て来た人々は皆変わりなく世を送っている。

終わり

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