simanomusume109
島の娘 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(百九) 分かりました
成るほど、彼(あ)の紅宝石(ルビー)は、時価にして幾十万円に当たるであろう。事に由れば百万円の値打ちが有るかも知れない。其れを他人に遣ろうと云うのだから、弁護士の職務としては、遣るには及ばない理由を、説き聞かせるのが、有理(もっとも)らしく思われる。
全く誰にも遣るに及ばない、法律の表に於いて、立派に網守子の所有で有ろう。けれど網守子としては、何うしても古江田利八の子孫に、贈らなければ成らない。
網守子は、谷川弁護士の言う事が、余り剛情に聞こえるので、殆ど恨めしそうに云った。
「貴方の仰る意味が、私には良く分かりません。若しも、彼の紅宝石(ルビー)が、全く私の所有品で有るならば、所有主の私が、自分の権利で他人に遣るのに、何も貴方がお止め成さる理由は、無いでは有りませんか。自分の品なら、誰に遣るのも随意だろうと思います。」
谷川は豁然(かつぜん)《目の前が急に広々とする様子》と分かった様な調子になり、
「イヤ貴女が自分の所有品を、人に遣るとか慈善に寄付するとか仰るならば、其れは自由贈与でありますから、勿論貴女の御随意ですけれど、貴女は彼の紅宝石(ルビー)を、古江田利八の子孫が、当然に受け取る権利の有る、遺産の様に思ってお在(いで)ですから、其れで私がお止め申すのです。彼(あ)れは貴女より外に、誰も権利の無い、純粋の貴女の財産です。」
網「分かりました。が、私に取っては、何方(どちら)でも同じ事です。何うか古江田利八の子孫へ遣って下さい。」
谷「そうまで仰れば止むを得ません。遣ることは遣りますが、兎に角貴女の財産の幾割が減じますよ。」
網「減じても介意(かま)いません。私は其れが本望です。」
谷川は惜し相に嘆息し、
「今時、貴女の様な事を言う人は、恐らく無いでしょう。何にしても惜しい者です。」
網「其れで、古江田利八の子孫は分かりましたか。」
谷川は、鞄(かばん)の中から一括(くく)りの古ぼけた書類を出した。
谷「漸く分かった様に思いますが、全く偶然に分かったのです。実は雲を掴む様な尋ね者ゆえ、私は五年前に初めて貴女のお頼みを受けた時に、全国の同業者へ回状を出して、頼んで置きました。若しも紀元1800年前後に、古江田利八と云う名を見認(みと)めるような、手掛かりが有るなら、知らせて呉れと。
其の後、何の方面からも音沙汰が有りませんでしたが、此の頃、ちょっとした事から、此の様な書面が、或る所から現れたが、若しや君の心当たりには成らないかと言って、同業の一人から送って呉れました。先ず最初から順を追うて一枚一枚ご覧に入れます。」
イヤ此の大きな書面を一々示されては大変だと思い、
網「其れには及びません。何うか概略(あらまし)だけ話して下さい。」
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