巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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          (百十三) 添子の逃亡

 初鳥添子の気絶は、鰐革の袋の話を聞くと同時であった。話の為に気絶したのか、病気の為に気絶したのか、是ばかりは読者の千里眼でも見破ることは出来ないだろう。実際添子は数日前から病気と称して、引き籠って居たのである。

 頓(やが)て網守子と侍婢(こしもと)とが介抱して寝間へ運び入れ、静かに寝かせた。けれど添子は中々静かになら無い。宛(あたか)もヒステリーの様に、何事をか口走って居る。

 「エエ悔しい悔しい。此の身は何と云う悪い月日の下に生まれたので有ろう。寧(いっ)そ生まれて来なければ好かったのに。」
と、何うやら自分の素性をも喋(しゃべ)り相である。是は決して此の夫人の、例の芝居気でする事では無い。全くの夢中である。網守子は、この様な事を聞くのが嫌いな気質だから、直ぐに侍婢(こしもと)と共に外に出て、夫人の声が洩れない様に外から戸を閉めた。

 けれど中では、猶も其の声が続いて居た。
 「此の身は此の様な低い身分では無い。百万長者の家に生まれた。其れが此の様な事までしなければ成らないとは、エエ、彼奴(あいつ)に見込まれたのが運の尽きだった。何だって彼(あ)の様な奴に、迷わされたので有ろう。今では彼奴のーーーー。、彼奴のーーーー、と云っても今更ーーーー。アア運命だと断念(あきら)めて、我慢する外は無い。ナニ此の儘(まま)では、此の儘では、----。」

 間もなく網守子は家を出た。実は色々と気に掛かる事が多くて、家にジッとして居られない様な気がした為である。鰐革の袋だけは、先ず片が付く事と為ったけれど、路田梨英の行方も分からない。又蛭田江南の事でも、まだ彼の口で、何の様な事を言い触らして居るかも知れない。

 出来る事なら直々に彼に談判し、彼を責め、彼を矯(たしな)め、此の身へ世間の人の誤解などの、来ない様にしなければ成らない。其れや是やを考えて、漸く気の晴れるまで、美術館などを見物し、日の暮れに及び、一通りの思案を定めて、家に帰った。

 帰って見ると、出迎えた侍婢(こしもと)が、心配気な顔をして、一通の手紙を出し、
 「初鳥夫人が此の手紙を、お渡して呉れと云い、其のまま居なく成りましたよ。」
 網「エエッ、居なく成ったとは、」
 侍「一切の荷物を纏(まと)め、馬車を雇って来て、出て行きました。」

 網「アノ病気の体で、」
 侍「病気では有りませんよ。私の引き止めるのを跳ね退けた力などは、病人どころか男も及ばない程でした。」
 網守子は、部屋に籠って、其の手紙を披(ひら)き読んだ。

 「私は仔細は申しませんが、此の家に居られない事情が出来ました。今日まで親切にして下さった恩を謝し、此のまま立ち去ります。若し私に落ち度が有れば、不幸な女としてお許し下さい。再びお目に掛かるか掛からないかは分かりません。谷川弁護士へは別に私から手紙を上げます。」
と唯是だけである。


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