simanomusume140
島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(百四十) 義理と名誉
谷「『古江田利○』とあるのを、古江田利八と主張することは出来ない。けれど今日の話は、之を古江田利八であると見做しての事だ。」
江「勿論見做さなければ成らないでしょう。愈々古江田利八の物とすれば、当然に其の子孫たる私共の権利です。相続の権利です。」
谷「相続の権利と言っても、君は古江田利八が、自分の一命を助けられた礼として、其の鰐革の嚢(袋)を、寒村網守嬢の先祖へ、与えたもので無いと、証明することが出来るか。」
江「サア、其れはーーー、其れは証明することが出来ません。けれど、常識で。」
谷「常識で云えば、網守嬢の先祖が、相当の代価を以って買い取ったかも知れない。君は両者の間に、売買が無かったと証明すること出来るか。」
江「其の様な事は事実らしく思われません。」
谷「或いは又、難船の際に、首から外れて海中へ落ちたのを、他日波風が打ち揚げるか何うかして、網守子の先祖が拾ったのかも知れない。拾ったにした所で、難破船の品物を海中又は海辺で拾えば、拾い主の物と為るのが、数百年来、定まった習慣だ。網守子より外に、其の鰐革の袋に対して権利を持つ人は無い。」
江「けれど、けれど。」
谷「誰が何と言おうとも、鰐革の袋が中実と共に、一切寒村網守嬢の、権利に属すると言うことを、君が確かと認めた上で無ければ、此の話は進めることは出来無い。詰まり鰐革の袋は、何と言っても網守嬢の随意になるのだ。」
江「けれど世の中には、義理と言う事も有ります。名誉と言う事も有ります。網守子は義理としても名誉としても、其の品物を古江田利八の子孫に、引き渡さなければ成らないでしょう。」
義理や名誉の言葉が、江南の口にも発音せられるのは奇観だ。
谷「君が、若し網守嬢の権利を認め無いならば、話は是れ切りで止めるから、君は訴訟でも何でも随意の行動を取給え。」
江「イイエ、権利は認めます。けれど義理と名誉は認めません。」
谷「権利を認めるとならば、続いて話を進めるが、五年前、僕が網守嬢の委託を受けた時、寒村家の宝物中の主なる者を評価させた。其の時紅宝石(ルビー)も専門家の鑑定を経たが。」
江「其の値は」
谷「幾ら相場の安い時でも五十万円を下らないと言うことだ。」
江「エ、其れは網守子の財産総体の値ですか。」
谷「ナニ其の紅宝石(ルビー)のみの値だよ。」
何う言えば斯(こ)うと、一々即座に返事の出る江南の口も、之には、開いたのみで声が出ない。
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