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島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(百四十一) 驚きの上の驚き
普段は余り、思う心を顔に現わさない蛭田江南であるけれど、此の時ばかりは、最早や自分の顔色を制し得ないことと為った。彼は漸くにして声を発し、
「エ、エ、鰐革の袋の中に紅宝石(ルビー)が、何れほどの値打ちだと仰りますか。」
谷「幾等安く積っても、五十万円は下らないとよ。僕の鑑定させた専門の宝石商人が言うには、今は戴冠式を前へ控え、宝石の値が騰貴する一方であるから、八十万円と言っても高くは無い。来年になれば、百万円を越すかも知れないと言った。」
江南は、此の驚くべき値を、合点すると同時に、忽ちに、持って生まれた欲心を燃え上がらせた。
「併し先生、五十万円にもせよ、百万円にもせよ、其の宝石は私共の物ですよ。私共古江田利八の子孫の権利で、他の人が横取りすることは、決して許されません。其れだのに網守子は、只(た)った一万円で私へ示談しようと言うのですネ。一万円の目腐金で、貴重な私の権利を、買収しようと言うのですね。宝石は私の権利です。私一人では無くとも、私も割前を持つ一人です。」
谷川は燃え上がる言葉を制して、
「イヤ、静かに、静かに、権利と言ったとて、何の証拠が有る。君は古江田利八が、何の様な宝石を、何の様な袋に入れたと言うことを、証明することも出来ず、況(ま)して其の宝石が、紛失したなどと、子孫の間に言い伝えさえも無いでは無いか。此の宝石は何の点から見ても、完全に網守子の所有である。網守子は君に、一文でも半銭でも、与えなければならない義務は無い。」
江南は叫んだ。
「其れだから只った一万円で我慢せよと言うのですね。いけません。古江田利八には三人の娘が有りました。私は其の一人の孫ですから、宝石の価格の三分の一は受け取らなければ成りません。其れを網守子が、エエ、悔しい、網守子は私を憎んで居ます。私を迫害します。何事に限らず総て私へ損害を与えます。先生、先生、貴方までも、只った一万円で私を沈黙させようと仰(おっしゃ)るのですか。」
谷川は殆ど気の毒な様に思い、
「イヤ、そうは言わないよ。」
江「イイエ、言いました。言いました。先づ一万円位だと。」
谷「アレは君が、一万にも成るのかと問うたから、先ずその様な者だと、君の言葉に附いて曖昧に答えたのだ。蛭田君、良く考えたまえ、網守嬢が何で君を憎む者か。嬢は今の世に二人とは得難いほどの慈善家だよ。此の五十万以上の宝を、無条件で残らず君一人に与えようと言うのだ。」
江南は全く腰を抜かさぬばかりである。
「エ、五十万円以上の宝を、残らず、残らず私に、本当ですか。本当に網守子が、本当に私へ、私へ。」
是こそは驚きの上の驚きである。
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