巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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         (百五十六)  後をも見ずに

 谷川弁護士が、「路田梨英」の名を彼是と考えて居る所へ、梨英当人が通された。彼れは相も変わらぬ見窄(みすぼ)らしい見姿(みなり)で、殆ど紳士とは見受けられない。
 顔を見れば、思い出すだろうと期して居た谷川は、全く初対面の人なので、唯簡単に、
 「何の御用ですか。」
と問うた。梨英も簡単に、
 「私は古江田利八の曽孫(ひまご)です。」
と答えた。

 この言葉に谷川も聊(いささ)か驚かされ、目を鋭くして更に梨英の容貌を眺めつつ、
 「古江田利八の曽孫が、私へ何の用事が有りますか。」
 梨「貴方が寒村網守子から、鰐革の嚢(ふくろ)の事を托せられて居ると聞きました故、其れでご相談に上がりました。」
 谷川は又更に驚きを加えた。けれど平気の調子で、

 「其の様な事を彼方は誰に聞きました。」
 梨英「網守子に聞きました。」
と、全く自分の友達を呼ぶ様な口調だけれど、谷川は其の様な見窄(みすぼら)しい身形(みなり)の男が、網守子の友達で有り得るとは思わない。

 「彼方は網守子に何所で逢いましたか。」
 梨「初めて逢ったのは五年前に、寒村島に於いてです。私は久しく其の家に逗留しましたが、其の時に網守子の曾祖母(ひおばあ)さんから、古江田利八と間違えられまして、初めて鰐革の嚢(ふくろ)の事を聞きましたが、其の後、殆ど忘れて居ました所、又先だって、計らずも網守子が私の画室へ尋ねて来ました。」

 画室と聞いて谷川は、網守子の部屋に在った額の事を思い出し、
 「アア彼方は蛭田江南の筆法を学んで居る画家ですね。」
 梨英は腹立たしそうに、
 「違います。違います。私は其の様な人の書風を学びません。」

 此の反抗は、谷川の目に幾分か梨英の人格が上がった様に見えた。其の上に谷川は、曾(かつ)て寒村島を尋ねた青年画家が、老夫人に古江田利八に見違えられた話をも、網守子から聞いて居る。其れ是れを思い合わせて、凡そ、その見当が附いた様に思い、

 「詰まる所、貴方は鰐皮の嚢(ふくろ)を、自分が受け取り度いと言う目的ですね。」
 梨「爾(そう)です。若しや私も、其れを受け取る可き権利者の一人では無いかと思いまして。」
 谷川「誤解の深く成らない中に申して置きましょう。彼の鰐革の嚢に対しては、権利者と言う者は無いのです。品は法律上古江田利八の遺産では無く、完全に寒村網守嬢の所有です。其れですから、網守嬢が随意に贈与するので、相続では無くて、貰い受けるのです。」

 梨英の顔は見る見る失望の色が浮かんだ。
 「爾ですか。貰い受けるのですか。イヤ、其れでは、自分の権利で無い物を、貰い受ける謂(いわ)れは有りませんから、私は今迄の言葉を取り消して立ち去ります。」
 言葉と共に立ち上がって後をも見ずに去った。



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