巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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         (百六十二)  百万長者

 先づ是で何事も一応は治まった様である。梨英は熱心に絵を書き初めた。
 網守子は小笛を連れて島に帰った。谷川は鰐革の嚢を江南に与える事として、此の点だけは、自分の役が済んだと思った。爾(そう)して江南自身も最早百万円の財産の主人とは成った。もう是れで、目出度く市が栄えた形ではないだろうか。

 けれど、爾(そう)では無い。実にーーー、何人も曾(かつ)て聞いた事の無い様な椿事が、猶(ま)だ此の前途に横たわって居た。其の椿事は蛭田江南を中心として起こった。

 読む人が、既に推量する事が出来た通り、江南の祖母竹子は、其の実古江田利八の第二女では無い。第三女である。唯名前から言うと松竹梅と三人の娘である為、竹子は二女であろうと誰にも思われるけれど、松子梅子と言う二人の娘の後に生まれた第三女である。

 第二女は全く梨英の祖母梅子である。此の順序を知る者は単に江南自身のみである。谷川弁護士さえも、其の順序を間違えて居る。
 爾(そう)すれば江南は、此の順序の間違いの為に、自分の手へ転がりが込んだ百万円近い財産が、他日取り返される事を恐れた。其れが為に大急ぎでワルシー市へ出張し、更にワルシー市から筆捨(ペンブローク)に出張し、両所で戸籍の記録を切り取ってしまった。

 此の様な悪事をして真の安心が出来よう筈は無いけれど、彼は先ず一通り安心した。イヤ様々な不安心を自分の欲心で推し伏せてしまい、殆ど安心の様に感じた。
 彼れは汽車を降り、路田梨英に分かれ、馬車を雇って家へ帰ったが、其の馬車に乗るが否や、彼の顔は嬉しそうに崩れた。

 「アア愈々(いよいよ)百万円の財産とは成った。」
 彼は斯(こ)う呟(つぶや)いた。
 「百万長者!百万長者!」
 彼は唯此の百万長者と言う一語が、非常に嬉しく、且つ快く自分の耳へ響くが為めに、自分が何れほど危うい橋を渡ったかと言うことをすら打ち忘れ、唯ニコニコと笑むのみである。

 道行く人に此の独り笑いの顔を見られてはと思い、一生懸命に耐(こら)えようとするけれど、耐える下から顔が頽(くづ)れて、思う様に成らなかった。
 彼れは此の様な心持で我が家に帰り着いたが、妻添子は引き続いて奔走して居ると見え、此の時も留守である。

 机の上を見ると雑誌編集の事が益々進んだと見えて、もう原稿などは散らばって居ないけれど、何やら計算書が幾通か乗って居る。是は彼女が持って来た四万円の金で、此の家の財産を整理して居る者と察せられる。

 江南は宛(あたか)も大人が、子供の戯事(ままごと)を見て笑う様に、又も愉快気に笑み、
 「可哀想に、未だ百万長者の令夫人に成ったことも知らずに、タッタ四万円ばかりの金で、空中楼閣を建てて居るワ。」
と呟(つぶや)いた。



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