巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume167

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

since 2016.6.16

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

         (百六十七)  真人間に帰った

 
 添子と江南との喜びは、猶(ま)だ続いて居る。けれど何時まで続くであろう。全く永久の喜びだろうか。其れは疑問だ。
 世には、自分の足の下に、深い淵の在ることを知らずに踊って居る人も有る。添子と江南とは其の様な者では無いだろうか。

 添「貴方、事業を営むと言って、何の様な事業を営みますか。」
 此の問には少し返事に困った。案外江南は、正しい事業に掛けては考えの無い男である。
 「何をと言って、其れは臨機応変さ。差し当たりは先ず、今の雑誌を盛大にし、先日和女(そなた)の言った通りに、此の家を以って美術界の中心とする様に歩を進めるのさ。」

 添「爾(そう)です。差し当たりは先づ、他の事に手を出さない様に成さい。私は雑誌の費用や収入を色々と計算し、今迄の会計を検めましたが、貴方は金銭の取り扱いが目茶目茶ですよ。帳簿なども辻褄の合わない所ばかりです。其れでさえ今迄続いていたのですから、私が引き受けて整理すれば、発行部数の増した後は、一年二万円(現在の約二千万円)の利子は必ず揚がります。」

 是も江南は嬉しい。爾(そう)すると併せて年五、六万円の収入に成るのだな。」
 添「其の中に、又確実な事業でも見つかれば、八万円にも十万円にも増して行かれます。」
 江「爾とも、爾とも、だから幾等にでも財産を増加させることが出来ると、私が最初に言ったではないか。」

 添「其の様な収入が出来れば、私は定まった面会日の外に、毎月幾度かパーティーを開き、勢力の有る貴顕紳士を招待しますよ。今に御覧なさい。ロンドンの上流社会が、蛭田令夫人の夜会へ、先を争うて来る様に成りますから。」
と、殆ど止め度も無いほどに、想像を走らせた。

 暫くして添子は、又も叫び、
 「オオ嬉しい。貴方、本当に嬉しいでは有りませんか。私は今まで四年の間、何の様な苦労をしたでしょう。一々は貴方にも言いませんけれど、泣き明かさない夜とては無いほどでした。」
 江「其れも是も、最(も)う過ぎ去ったから。サッパリ夢と忘れて、今から後の確実な幸福を味わえば好いのさ。」

 添「本当にそうですよ。もう、過ぎ去った四年の艱難辛苦は一切夢と忘れましょう。」
 此の様に言う添子の眼には、真実に涙が浮かんだ。喜び極まって泣くと言うのは此の事だろう。江南も非常に優しく、
 「イヤ私も今迄三、四年の間は、全く和女を可哀想な女だと思って居た。其れから今度得た財産も、私は決して自分のみの為に嬉しいのでは無い。和女の為に喜んで居るのだ。」

 此の瞬間のみは二人とも真人間に帰った様に見えた。やがて添子は涙を拭って、
 「ですが貴方、其の大きな財産を何うして誰から受けましたか。其れを聞かせて下さいな。」
と問出した。



次(百六十八)へ

a:95 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花