巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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         (百八十六) 先例のない事情

 
 蛭田江南が正直であるか否かは、ここで争うべき必要が無いと、直ぐに谷川は思い直し、
 「イヤ、路田さん、江南の人格に就いて、貴方と私と考えの違うのは、云わば余事です。是はお互いに云わない事に致しましょう。」

 梨英は聊(いささ)か不服の様子で、何か云いたそうに見えたけれど、
 「其れは爾(そう)です。私も彼の事を、必ず云わなければ成らない訳でも有りません。」
と言って黙した。

 谷「では是で話は済みました。もう何時でも貴方へ其の紅宝石(ルビー)をお渡し致しますが、其の前に手続きとして、貴方の戸籍の写しを見なければ成りません。尤も之は私が筆捨市から取り寄せて上げます。爾(そう)して一応見た上で貴方へお知らせ致しますから。」

 梨「其れは甚だ好都合です。私も一応網守子へ交渉して、其の上で受け取るか否かを定めたいと思いますから、愈々(いよいよ)受け取ると極まった時には、私から貴方へご通知致しましょう。」
 此の様に話が極まって両人は別れた。後に梨英は茫然(ぼんやりと)として暫し考え、

 「アア全く夢の様だ。己(おれ)ほど不運な男は無いと思ったのに、六十萬円(現在の約6億円)以上の宝が転がり込むことに成るとは、イヤ是も先祖の余徳だ。受け取って有益に使用するのが古江田利八の心にも叶うで有ろう。併し待てよ、此の様な事で心が弛んでは成らない。矢張り為す可き事は為し遂げなければ。」

 其れは扨て置き、谷川弁護士は自分の事務所へ帰るや否や、直ぐに筆捨市の同業へ宛て、
 「路田梨英と云う者の素性を一応取り調べて、其の戸籍の登記を写し送り呉れ。」
と依頼して遣った。
 其の翌々日に及び其の人から電報が来た。披(ひら)いて見ると実に意外である。

 「先例の無い事故の為に返事が遅延する。」
と有る。先例の無い事情とは抑々(そもそも)何事で有ろう。併し考えても分かる訳で無いから、其の中に詳しい知らせが来るだろうと思い、事に紛れて又三日経た。

 三日目の昼過ぎに、谷川の事務所へ名刺を出した人がある。名刺の面にには筆捨市の警吏とある。不審ながら逢って見ると其の人は重々しそうな口調で、
 「秘密に貴方へお尋ねする事が有って、故々(わざわざ)出張して来ました。」
と切り出した。警吏の訪問を受けるなどと云うことは、谷川の事務所に殆ど例の無い事である。

 谷川は簡単に、
 「お尋ねとは」
 警「貴方から筆捨市の同業へ、路田何某と云う人の戸籍の取り調べを、依頼成さった由で有りますが、。」
 谷「ハイ以来致しました。」
 警「貴方は何人に依頼されてーーーー。イヤ何人の利益の為に、其の戸籍をお調べです。」

 谷「私は路田梨英と云う者の利益の為です。」
 警吏は宛(あたか)も、そうでしょうと云う様に独り頷(うなず)いた。


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