巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume193

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

since 2016.7.12

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

         (百九十三) 喜びの団楽(まどい)

 
 網守の言葉は実に力が強い。成るほどあの紅宝石(ルビー)は、祖母(おばあ)さんが、此の梨英に呉れたも同様で、梨英が祖母さんと握手した時に、既に梨英の物と為った。
 之を谷川弁護士に聞かせれば、爾(そう)で無いと云うで有ろう。九十五歳の老婦人が、戯言(たわごと)同様に、何の様な事を云っても、其れを本気の沙汰と見ることは出来ない。けれど網守子は堅く爾う信じ詰めた。全く紅宝石はあの時から梨英の物てあると。

 梨英は嬉しく無いことは無い。けれどあれ丈の事で、紅宝石が我物に成ったとは思わず、暫らく返事に躊躇した。網守子は急(せ)き込む様に、
 「其れでも貴方は受け取って呉れませんか。」
 梨「イイエ、受け取らないとは云いませんけれどーーーー。」

 此のとき日は全く暮れ、東の空に夕方から登って居た月が、何時の間にか光りを発して、淡く両人の姿を照らし、妙に人懐かしい様な心を起こさせた。網守子は梨英の顔を見入って、
 「其れでは何故受け取ると言切りませんか。」

 責める様に云うけれど、梨英の心には、言葉の中に何とも云えない、優しさが籠もって居る様に聞こえた。
 梨「私は此の様な宝を受け取って、貴女のーーー、貴女のーー尊敬を失うことを恐れます。」
 云って梨英も網守子の顔を見入った。両人を包んで居る月の光は、何者をも美化せずには置かないほどの力があった。

 そうでなくても美しい網守子の顔は、自然の恵みと、何とも言えない喜びに輝いて、朧(おぼろ)に光る真珠の化身かとも思われた。
 網「私の尊敬が貴方には其様に貴重ですか。」
 梨「貴重です。貴重です。」
 網「私の尊敬は、貴方が紅宝石を受け取ると受け取らないとで変わりはしません。生涯の尊敬です。」

 梨「尊敬ばかりで無く、貴女のーーー、貴女のーー。」
 梨英は只何と無く境遇の床しさ、美しさに酔い、殆ど夢の様な心持であった。網守子もそうであった。
 両人は心が溶け合って、意外にも、イヤ別に意外でも無いであろう。追っては夫婦に成るとの約束まで茲(ここ)で結んだ。

 間も無く手を引き合って舟に帰った時は、もう許嫁(いいなず)けの仲であった。
 一時間ばかり波太郎の漕ぐ力で、舟は寒村島に着いた。両人が家に帰って見ると、夜は既に九時頃であるけれど、下田夫婦と小笛嬢とが、食卓で両人の帰るのを待って居た。網守子は喜びを湛(たた)えた顔で、下田夫人に向かい、

 「私と梨英は許嫁けに成りました。」
と披露した。実に簡単なものである。下田夫人は嬉しそうに立って、
 「私共は六年前からそう思って居ました。早くご婚礼の日をお極め遊ばせ。」
 下田の夫も立った。小笛も立った。爾(そう)して代わる代(が)わる網守子と梨英とに握手して、両人の前途を祝福し、小さい団楽(まどい)に喜びの声が満ちた。


次(百九十四)へ

a:100 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花