巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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         (二百十七) 真夜中の来客

 切り取った其の紙がまだ江南の手許に在ると聞き、添子は非常に安心した様子で、
 「好く先ア、貴方は焼き捨てもせずに、其れを取って有りましたねえ。」
 江南「焼き捨てるのは何時でも出来るから、この様な物は最後の場合まで保存するが私の常だ。」

 添「そうでしょうね。貴方の様に悪事ばかり企む人は、常に其れほどの注意が肝腎でしょう。其れさえ有れば、必(きっ)と私は網守子を説き、何とか此の急場が凌(しの)げる様にして来ます。何うせ夜逃げは逃れられない運命でしょう。けれど今夜此のまま夜逃げなどは、出来る訳で有りません。」

 江「其れはそうだ。茲(ここ)で仮令に、一日でも二日でも猶予が附けば、何れほど助かるか分からない。何うか旨く遣って呉れ。何分頼む。」
 唯だ今まで夜逃げの為に振り捨てる積りで居た妻へ、早や此の様に頼み入るとは、得て勝手にも程が有る。

 江南に別れ去った網守子は、直ぐに従妹藤子の家に帰った。茲(ここ)には、既に網守子と小笛に宛てた、部屋の用意も出来、多少の荷物なども始末せられて有ったので、網守子は其の部屋に入り、独り色々と考えて見たが、今夜の江南との押し問答は、何うも自分の失敗であった様に感ぜられる。

 何とかして、江南に白状させる積りであったのに、其の目的が達成出来なかった。充分彼を責め附けはしたけれど、肝腎の戸籍の事だけは、彼自ら第三女の孫であることを、谷川へ名乗って出たと云い、紅宝石(ルビー)までも辞退したと云い、少しも淀まずに言い開いた。

 是にも必ず偽りが有るだろうとは思うけれど、何うも思い当たらない。何故に彼は紅宝石を辞退したので有ろう。何の様な訳が有らうと決して辞退する男で無いのに。
 如何に考えても合点が行かない。其れでも網守子は少しも怯(ひる)まない。

 明日は朝早く、再び谷川に逢い、検事の前へ連れて出て貰うことにする。若し谷川が承知しなければ、ナニ、自分独りでも行かれない事は無い。検事に自分の知って居るだけの事を知らせ、自分の信じる丈の事を言い立てれば、必ず何とか取り調べて江南の偽りの底を突き留める事が出来よう。

 あの様な悪人を罪に落とすことが出来ないならば、裁判も何も有ったものでは無い。全く世の中は闇である。
 此の様に思い定めて、最(も)う寝ようと思い、時計を見ると、既に夜の十二時を過ぎて居る。頓(やが)て寝室(ねま)の戸に手を懸けようとする時、外から部屋の戸を軽く叩く音がして、小笛で有るだろうか、イヤ従妹藤子であろうかと疑いながら、

 「お入り成さい。」
と声を懸けると、直に戸を開いて、静かに歩み入ったのは江南の妻添子である。網守子は敵を迎える様な態度で其の前に立ち塞(ふさが)がった。


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