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島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(二百二十二) 怪しい筆の跡
「誓いますか。誓いますか。」
退引(のっぴき)させぬ問い様に、網守子は誓う外は無いと思った。
其れでも取つ置いつ《あれやこれやと思い迷う》思案はしたけれど、何しろ江南に逃げられては大変である。其の場合には、江南を真の犯人であると訴えても、裁判の手は届かず、其の上に、肝腎の原紙が無くなっては、成るほど梨英の身に、生涯一種の疑いが附き纏(まと)うで有ろう。全く背に腹は替えられない場合である。其れに又、添子を気の毒と思う様な心も手伝い、終に網守子は、
「誓います。」
と言い切った。添子は益々安心しつつも、念を押し、
「では私共夫婦の、今までの悪事のみでは無く、此の後何の様な悪事が分かろうとも、決して口外せず、責めもしないと誓いますか。」
網「爾(そう)ですとも。」
添子は、
「では原紙をお目に掛けます。」
と言い、全くの本物を持ち出した。
見れば成るほど、梨英の祖母は梅子と有り。古江田利八の第二女と明らかに記して有る。是が回復されれば、何も彼も梨英に関する疑いは晴れて了(しま)う筈であるから、誰も疑うべき余地が無い。更に添子は事務的な口調で、
「茲(ここ)で墨紙筆を拝借し、検事長へ宛てた手紙を書き、直に投函しますから、貴女でも小笛さんでも一緒に来て、投函する所を見届けて下さい。」
頓(やが)て網守子の持ち出した筆墨を以て、下の様に認めた。
「偶然の事情から、此の二枚を手に入れた正直な一婦人は、若しも之が為に、罪無き人が疑われる様な事が有りはしないかと気遣(きづか)い、之を検事長へ差し上げます。何うぞワルシー市と筆捨市との登記所へお見せ下さい。」
網守子は傍から見て居て、不思議で納得が行かない様な顔をして、
「オヤオヤ、貴女の字は細い綺麗なので有ったのに、肉太く私の字に、大層似て居るでは有りませんか。」
添子はハッと思った。似て居るのも無理は無い。銀行から、紅宝石(ルビー)を取り出す贋手紙を作る為、何れほど網守子の字を練習したか知れない。
添「永く貴女と一緒に居た為、自然に似たのでしょう。」
と言い抜け、忽(たちま)ち思い出した様に、
「嬢様、貴女は私が此の様な字を書く事までも口外しては成りませんよ。」
網「エ、此の様な事までも誓いの中ですか。」
添「爾(そう)ですとも、私の名さえも、貴女の口から出さない様にして下さい。」
実に厳しい約束である。けれど網守子は、仕方が無いと思い、
「承知しました。もう何にも言いません。」
と答えた。此の時、夜は非常に更けて居たけれど、間も無く共々に外に出で、手紙の投函をまで見届けて分かれた。
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