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島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(二百二十七) 運命の決する時が
網「ですが、商人は、紅宝石(ルビー)を如何ほどの値段ならば、買い取ると言いますか。」
谷「先日は目下の相場で、七十二万円(現在の約7.2億円)と云いました。」
流石に網守子も驚いた。
「エ、エ、七十二万円、其れほど高く。」
谷「ハイ、猶(ま)だ高くなると云って居ましたが、兎に角茲(ここ)へ通しましょう。」
網「私が居ては、若しや不都合では有りませんか。」
谷「イイエ、却(かえ)って好都合です。」
網守子の居る前へ、二人の宝石商人が通された。
甲商人は先日谷川と相談して去った人である。谷川は之に向かい、
「是なる令嬢は、紅宝石の委託主でありますから、立ち会いを願う方が、便利だろうと思いまして。」
甲乙一緒に網守子に黙礼し、頓(やが)て甲より口を切り、
「実は私共同業数名が、組み合ってお買取りすることに、相談は纏(まと)まりましたけれど、他の同業者に、薄々様子を悟られた恐れが有ります。斯(こ)うなると営業の競争上、代価を競り挙げられるかも知れません故、先日七十二万円と申し上げましたが、改めて七十五万円まで、買い上げる事に致しました。
其の代わり、若し他に、七十五万円より以上に買い上げる商人が有れば、私共は手を引きます。御遠慮無く、他の同業者へ、お問い合せ下さる様に願います。」
実に耳よりな話である。金庫の中へ一週間寝かして置く間に、七十二万円の物が、独りで七十五万円に騰貴し、凡そ一日に五千円、一時間に二百円以上の儲けをを加えた様な者である。
谷川は一寸網守子の顔を顧み、眼で同意を乞うた上、非常に真面目に、
「イヤ、最初から貴方及びその商店を信じて、相談を持ち掛けた訳ですから、決して他の競争者に、問い合わす必要は有りません。七十五万円ならば、何時でも引き取ると言われますか。」
甲「ハイ、只今でも引き取ります。」
谷川「イヤ只今直ぐに、売り渡すのでは有りませんが、数日の後に、取引する運びと成ろうかと思います。」
甲「ハイ一週間以内ならば、大して相場に変動は無かろうと思いますので、七十五万円ならば買受ます。」
乙商人は初めて口を開き、
「尚、相場が騰貴すれば、騰貴した丈七十五万円の上へ加えます。尤も私は未だ実物を拝見致しませんが、是なる同業の綿密なる鑑定書で、殆ど実物を見たと同様に分かって居ますものの、念の為で有りますから、今日実物を拝見して帰り度いと存じます。」
谷川は
「ごもっとも」
と答えて立ち上がり、部屋の一方に在る、金庫の戸を開いて、中から鰐革の嚢を取り出し、殆ど恭(うやうや)しい程の動作で、両商人の前へ置いたのは、愈々運命の決する時が来たのである。
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