巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume230

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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        (二百三十) 実に深い意味が

 火に溶ける紅宝石(ルビー)の有る筈が無い。ゴムの臭気(におい)を発する紅宝石の有る筈が無い。
 先ほどから無言で見て居た網守子は、何も彼も分かり尽くした様に思い、我知らず、
 「アア分かった。此の様な値打ちの無い品だから、其れで江南が辞退したのです。」
と口走ったが、又忽ち添子との約束を思い出した。アア自分は此の様な事を云う権利が無いのである。

 如何に合点が行ったとしても、江南の悪事を口外することは出来ない。全く添子から其の権利を奪われた後である。
 是を思うと添子が、此の身へ強いた口留の約束は、実に深い意味が有った。爾(そ)うとまでは知らなかったけれど、今考えて見ると、彼女は確かに、今までの悪事のみで無く、此の後、何の様な悪事が露見しようともと云った。そうすれば、此の紅宝石の贋物ということを知って居た。知って其の事の露見することをまで見抜いたから、其れで彼(あ)の通り口留をしたのである。

 そうすれば此のゴム製の紅宝石を、真の紅宝石と摺り替えたのも添子か江南である。イヤ江南より添子である。添子で無ければ、之を贋(にせ)と知って居る筈は無く、又露見を恐れる筈は無い。

 網守子は、思えば思うほど、益々添子の悪智慧が恐ろしく成った。此の様な大悪事を働いて居て、露見に先立ち、私へ口留の約束を結ばせるとは、なんと云う狡猾な所業だろう。私が沈黙して了(しま)えば、恐らくは何人でも添子の仕業と知らないであろう。

 実は私と云えども、添子が何うして真の紅宝石を盗み得たかは良く知らないけれど、添子の外に盗人の有る筈は無い。私は添子との約束を守って、まだ沈黙して居なければ成らないのであろうか。
 真逆(まさか)に、此の様な自分に取り、自分の許嫁の夫に取り、大損害と為る事柄を、沈黙して居なければならないと云う筈は有るまい。言おう。言おう。谷川弁護士に向かって何事も云って了(しま)おうと、心が殆ど口先まで転がって出たけれど、イヤイヤと又思い返した。

 此の約束は只の約束とは違う。其の約束に従い、既に私は、手に入れることの出来ない二枚の原紙を、添子から得たのである。のみならず、既に其れが為めに、路田梨英の保釈も許されたのである。先は此の通り自分の義務を果たしたのに、私の方で、義務を踏みにじっても構はないと云う筈は無い。茲(ここ)で若し沈黙を破れば、向こうへは義務を果たさせ、自分は義務を尽くさないから、自分の方が悪人よりも一層悪い者となる。

 悪人を憎む私が、其の様な事をしては成らない。取分けアノ約束は尋常の約束では無く、誓いである。誓いは生涯破らないのが人の道であると、苦しくも思い定めた。


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