巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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         (二百三十二) 私が買い受けます

 実に谷川の驚き方は甚(ひど)い。唯驚きのみでは無い。自分の失策を愧(は)づる恥もある。自分の名誉を気遣う恐れも有る。弁償しなければ成らないと云う、大いなる当惑も有る。其の上に、盗まれた、欺(だま)されたと云う、悔しさが湧いて居る。全く譬(たと)えるのに物も無い。苦痛の浪が心を漂わせて居るのである。日頃は落ち着き過ぎるほど落ち着いた人だけれど、今は何を考える余裕も無い。

 両商人は自分達の損害に腹立つ様であったけれど、谷川の顔に浮かんだ悲痛の色を見、手にも足にも、イヤ総身に現れて居る戦(わなな)きを見ては、気の毒の念を催し、自分等の損害を訴える勇気は出ない。二人はヒソヒソと相談して居たが、頓(やが)て甲商人が谷川に向かい、

 「私共も、七十万円以上の品を、買い取ると云う用意の為に連合して、今と為り品物が間違って居ると分かっては、非常な損害で有りますけれど、何うも致し方が有りません。一先ず此のままで引き退がりましょう。」
と、分かれを告げて去ったけれど、谷川は其れにも気が附かないほどである。

 彼の心には、何よりも弁償しなければ成らないと云う義務の念が悶(つか)えて居る。
 「嬢様、是は何としても私の過失です。私が償います。」
 この様に云って又考え、
 「とは云え、七十五万円では、私の力に余ります。私の財産総体を投げ出した所で、其の半分に足りるか足りないか知れません。嬢様、足りない所は、足りない所は。」

 アア足りない所を、何とする当も無い。
 彼は数十年の正直な苦労を積み、辛苦と倹約を以て漸くに作り上げた弁護士一代の財産が、詐欺師の只の一撃に崩されて了(しま)ったことを感じた。

 網守子は谷川の正直なる顔に浮かぶ、苦痛の色を見るに忍びない。だからと言って、詐欺の本人が添子か江南か―ーー、多分添子ーーーであることを打ち明けて、其の苦痛を救うことも出来ない。止むを得ず、思い定めて、
 「谷川さん、何も其の様に仰るには及びませんよ。此の紅宝石が七十五万円に売れれば好いでしょう。ゴムで有ろうと練り物で有ろうと、私が七十五万円に買い受けます。」

 谷「エ、何と仰(おっしゃ)る。」
 網「此の紅宝石は路田梨英の物です。私が之を七十五万円に買い取って、金を貴方に渡し、貴方から其の金を路田梨英に渡せば、何にも心配は無いでは有りませんか。」
 ここに至っては、全く添子が、原紙二枚七十五万円に網守子に売り付けたのも同じ事である。

添子が夫江南に向かい、
 「百万円に売り付けました。」
と云ったのは、大して嘘で無かった。網守子は其れが為に、七十五万円の損失を受けるのである。


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