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島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(二百三十四) 私も貧民同様に
保釈せられて帰って来た路田梨英は、別に窶(やつ)れた風も見えない。網守子はそうと見るやいなや
「オオ梨英」
と云って縋(すが)り附いた。梨英は網守子が茲(ここ)に居るのに驚き、
「オオ、貴女は何時上京しました。」
網「ハイ貴方が捕らわれたと聞き、直ちに大急ぎで上って来ました。」
両人(ふたり)は、ここが弁護士の事務所であることをも忘れた様に語らったが、頓(やが)て網守子から、彼の紅宝石(ルビー)が贋物(にせもの)であることを聞くに及び、流石に梨英は失望の色を隠し得ず、
「そうですか。あれが贋物?」
網「ハイ、何者かに何時の間にか摺(す)り替えられたのです。尤(もっと)も谷川さんは、自分の過失ゆえ、是非とも弁償すると云い、今しがた、急(いそがは)しく何処へか出て行きましたが。」
梨「イエ、弁償には及びません。畢竟(ひっきょう)、私に運が無いのでしょう。漸く我が物に成ったと思えば、自分が牢に入れられ、漸く牢を出て見れば、其の品が贋物と為って居るとはーーー。」
網「是れと云うのも、総て私の思い違いより出た事です。祖母(おばあ)さんが、貴方を古江田利八の再来だと云い、貴方へ本物を返すと云いましたのに、私が其の言葉の通り、直ぐに紅宝石(ルビー)を貴方へ渡せば好かったのに。貴方の外に利八の真の子孫が有る者と思い、引き渡す事を怠った為め、此の様な事に成ったのです。是れを思えば、私が弁償しなければ成らないと思い、谷川さんへ爾(そう)云いましたけれど。」
梨英は、少し改まった語調で、
「貴女から弁償せられて、私が其れを受けるとお思いですか。」
網「受ける受けぬは兎も角も、弁償しなければ私が済まないと思いました。」
梨「私は牢の中では、色々に想像し、あの紅宝石が売れれば、其の金を以て彼(あ)あもする斯(こ)うもすると、種々の空想を画きましたけれど、今は全く断念(あきら)めました。イイエ、私は、思わぬ財産が転がり込むなどと言う、其の様な運の在る生まれ附きでは無いのです。何事でも、少し当てにすると直ぐに外れるのが私の天分です。」
余り爾(そう)でも無いらしい。現に網守子の様な、得難い令嬢が、自分の妻として転がり込もうとして居るでは無いか。
「ですから、もう紅宝石の事は、私と貴女との間では一切云わない事に致しましょう。」
網守子は是に同意した。
「爾です。もう紅宝石の事は一切言わない様にし、至急に結婚しましょうよ。」
茲(ここ)で婚礼の事を聞くのは、余りに出し抜けで、余りに意外である。
梨英はハッと思い、
「オヤまた紅宝石の事を言わなければ成りません。あれが無く成った以上は、私は殆ど貴女と結婚する資格が無い。」
網「何故ですか。」
梨「貧民同様の身分ですもの。」
網「では私も一切の財産を捨て、貴方と同じ貧民同様の身分に成りましょう。」
実に網守子は突飛である。
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