simanomusume240
島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(二百四十) 天の賜った鍵
谷川は此の保津老人を、天の賜った鍵である様に感じた。此の老人の言葉で、今までの疑惑が充分に解けるに違い無い。彼は此の老人の言葉を、一語も洩らさないと云う程の熱心な態度で聴いた。
老人の言葉は、在った儘の筋道を辿りつつ続いた。
「百万長者に成ったと喜んで居る江南から、妻添子は其の転がり込んだ財産が、網守子の紅宝石(ルビー)であると聞き、非常に驚きました。爾(そう)して終に其の紅宝石ならば、ゴム細工の贋物(にせもの)で有って、百万円は扨(さ)て置き、何の値打ちも無いのだと申しました。」
谷川は全く驚いて、我知らず、
「オオ、添子が其の紅宝石を、ゴム細工の贋物だと知って居ましたか。其れは不思議、実に不思議。」
老「ハイ江南は容易に信じませんでしたけれど、一方ならず慌(あわ)てて色々に問い詰めました。すると添子は、自分が網守子の贋手紙を書いて、銀行から其れ取り出し、本物を鰐革の嚢(ふくろ)から盗み取って、其の後へ贋物を詰め替えて、それを本の通り銀行へ返して置いたと云いました。」
谷川は全く眼の玉も飛び出すかと思われるほど目を見開き、
「恐ろしい、恐ろしい、ではあの手紙は、添子の作った偽筆である。そうと知らずに、見慣れた私までも、網守子の自筆だと思いましたが、あれが偽筆、シタが本当の紅宝石を何うしたと云いました。」
老「贓品買(けいづか)《盗品買い》いの猶太(ユダヤ)人の紹介で、他国から来て居る宝石商人へ、四萬五千円で売り払ったと云いました。」
谷川の驚きは益々募るばかりである。
「七十五万円の実価のある、あの紅宝石を、只(た)った四万五千円に、大変です。其の様に踏み倒して買うのは、無論外国の詐欺師だから、其の手に実物が渡っとすれば、もう回復の道は無い。イヤ何処へ持って行って何うしたか。もう調査の道も絶えた。其れから、其れから。」
老「添子は其の四万五千円のうち、幾分かを自分で使い、残る四万円ほどを銀行に預け、其の通い帳を持って、江南の元へ帰って来て、江南を喜ばせ、江南と夫婦であるとの広告を新聞紙に出しました。是は余ほど前の事です。」
谷「オオ知って居ます。知って居ます。無論其の広告は多くの人が見て、一時は到る處で噂の種と為りましたが、あの広告が即ち其の時で有ったのですか。」
老「そうです。其れですから、添子から其の時の四万円が紅宝石の代価であると聞き知ったった時、江南は聞くに忍びないほどの言葉を以て添子を罵(ののし)り、果ては絶望の泣き声を発して男泣きに泣きました。」
谷「是れは酷(ひど)い。実に酷い奴だ。その様な事が有ったのに、正直相に辞退するなどと私を欺いてーーー。」
老「ハイ私も余(あんま)り酷いと思い、暇を取る気に成ったのです。」
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