巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume25

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

since 2016.1.26

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

          
                 (二十五) 見覚えの一紳士

 網守子は、画(え)の天才と云えば、路田梨英の外に無いだろうと云う程に思って居た。取り分け海を描き、浪を写すに妙を得たと云えば、必ず彼に相違無いと思った。然るに、彼の外に此の蛭田江南がある。のみならず江南は画の外に、文芸家としても詩人としても天才であるとは、驚く外は無い。

 江南は言葉を続け、
 「貴女の音楽は、噂に聞いて居たよりも以上です。全く敬服しました。」
 噂に聞いたとは、異様な言葉である。彼は是をも説明する様に、
 「実に谷川弁護士は法学に於いて私の先輩でーーー。」
 さては法学にも天才が有るのか知らん。余りに不思議である。

 「ーーーイヤ、先輩と云うよりも寧ろ師で有ります。永年交わりを願って居ますが、先日逢った時、或る令嬢の為に侶伴《付添い》婦人を求めたいと云いますので、私が初鳥添子夫人を推薦しました。」
 成るほど、此の様な間柄ならば、噂にも聞いたであろう。網守子は話の緒口(いとぐち)を得て、

 「初鳥夫人は貴方のーーー。」
 江「ハイ私の亡友の未亡人ですが、非常に親切な気質で、侶伴(りょはん)婦人としては、適当であろうと思いました。何にしても、貴女のお気に適(かな)ったのは、当人の仕合せのみならず、私も嬉しく思います。」
 此の様子で見ると、此の人は、交際に於いても又天才では有るまいか。

 網「ハイ、別に私の気に適(かな)ったと云うでも有りませんけれど、谷川弁護士が選んで下さった故。」
 江「イヤ、誰の気にも適(かな)う婦人で有ります。追々気質がお分かりになれば、必ずお気に叶いますよ。」

 この様にして、江南は、網守子を部屋の静かな方へ伴い、対座して種々芸術の話を始めた。網守子は、天才を尊敬する心持を以て、殆ど恭(うやうや)しく聞いて居たが、此の人の云うことは、総て教師が、自分の弟子に教える様な口調で、其の事柄も、網守子が今迄五年の修行中に読んだ教科書と、余程似通って居る。多分此の人の天才は、梨英の天才と全く質が違うので有ろう。

 梨英は悉(ことごと)く意外な事ばかり云う。此の人は最もらしい事ばかりを云う。此の人の言葉は聞いて居ると、次に出て来る語が、必ずこうだろうと予想せられる。それだけ何だか重苦しく退屈を感ずるけれど、圧迫されて、身動きの出来ない様な気持ちになる。梨英の言葉には、気を引き立てられる様な感じが有った。

 少時の後に網守子は、此の人の傍を離れて、部屋の一方を見ると、顔に見覚えのある一紳士が居る。網守子は、なつかしそうに其の人の傍に行き、打ち解けた言葉で、
 「捨部竹里さん。」
と呼んだ。紳士は驚き、

 「ハイ、私は捨部竹里ですが。」
 網「私を忘れましたか、五年前にお目に掛かった寒村(さむそん)島の網守子ですよ。」
 竹里は不思議そうにきょろきょろ見て、
 「ヤ、変われば変わる者だ。全く見違えました。」


次(二十六)へ

a:130 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花