巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume37

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

since 2016.2.7

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            (三十七) 待ち人来る

 「アノ蛭田と言う方が、其の様な天才でしょうか。」
との網守子の問は、添子の思う壺に入った。 
 添「貴女は未だ広く世間の噂を、お聞き成さら無いから、天才でしょうかなどと、お問い成さるのです。蛭田江南の外に本当の天才は、今の世に無いと言う程です。」

 網「私はそうは思いません。外にも天才は有るけれど、隠れて居ると思います。」
 添「隠れて居る様なのは、天才では有りません。天才ならば、人が其の作品を見て、直ぐに天才と知りますから。独りで名高く成るのです。名高く成ら無いのは天才では無いのです。」

 成るほど其れもそうである。そうすると、路田梨英が今以て世に現れず、居所さえも人に知られない態(さま)であるのは、何故だろうと、不思議に思う念が網守子の心に動いた。
 添子は宛(まる)で其れと見て取った様に、

 「世に天才と言う人は、幾等も有りますけれど、蛭田江南の外は皆贋(にせ)の天才ですよ。」
 何方(どちら)が贋の天才だろう。
 若(も)しも、此の召使が来て、一枚の名刺を網守子に渡さなかったならば、添子の雄弁は何れほど長く続いたかも知れない。名刺の表には捨部竹里とある。網守子は其の名刺を見るやいなや、添子の言葉が未だ途切れ無いのも気付かない様に、直ぐに立って廊下に出て、自ら捨部竹里を迎え、全く旧友を待遇(もてな)す様に、自分の居室に案内した。添子は殆ど呆気に取られて居た。

 「竹里さん、路田梨英の居る所が分かりましたか。」
と昔の通りの打ち解けた口調である。竹里は部屋の様子や網守子の身の回りを見廻しながら、
 「貴女の幸運は、谷川弁護士から略聞きましたが、若し五年前に其の様な家柄の令嬢と知れば、私は相当の敬意を示す所でしたのに、唯の漁師の娘か何ぞの様に思い、きっと失礼の事ばかり多かっただろうと思います。」

 彼は非常に真面目な男である。
 網「今だってあの時と同様に思って下さい。少しも私は変わりませんから。ですが梨英の居所は。」
 竹里「漸く分かりは分かりましたが、当人が人に隠して居る様子なので、其の承諾を経ずに、貴女へお知らせして好いか悪いか分かりません。其れでも貴女が、何うしても知らなければなら無いと仰有(おっしゃ)るならば。」

 網「ハイ私は知らなければ成りません。」
 竹里「実は偶然に分かりました。私は先日から種々の人に問い合わせましたが、先刻(さっき)一友人が意外な所で、路田梨英が意外な家へ入るのを、見受けたと申します。」
 網「意外とは」
 竹「其れだから申し難いので有りますが、お驚き成さってはいけませんよ。言わば貧民窟の様な所です。」

 貧民窟とは成るほど意外である。網守子は驚いたけれど、何やら心に納得して、それほど驚きを示さなかった。


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