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島の娘 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(四十六) 容赦の無い批評
小笛の兄、柳本阿一の作った戯曲は、全く彼の血と涙との塊である。二年の間、一念を之に凝らしたのである。
江南「先ず荒筋を私へお聞かせ成さい。」
阿一は別に荒筋だけを、一目に分かる様に摘要して、清書してある。其れを江南に渡した。江南は之を見終わり、可(よい)とも否(いな)とも云わず、唯重々しい顔をして、
「戯曲(ドラマ)の本領は、無論台詞(せりふ)に在ります。是だけでは分かりません。台詞を読んでお聞かせなさい。」
阿「私は読んでお聞かせするのは下手ですけれど、妹は旨(うま)いです。」
江南「イヤ、読み方の巧拙は、素人の聞き手に向かって言うことです。私の様な批評家には、如何に読み方が巧くとも拙(まず)くとも同じ事です。」
阿一は成るほどと感心して自ら読み始めた。
実に傑作であると江南は思った。けれど其の様な色は、毛ほども見せずに聞き終わり、
「アア」
と云ったきり後を言わない。阿一は心配そうに、
「何うでしょう。」
江南は同情に耐えない様な顔をして、
「柳本さん、私は容赦なく本当の事を言いますよ。」
阿「ハイ、何うか。」
江南「容赦の無い本当の批評が、実は貴方へ親切だろうと思います。」
阿「そうです。」
江南「実を言うと、是では何処の興行人でも、一顧を与えて呉れません。所々に天才の輝きが見えるけれど、田舎流の天才で、今の都の見物には笑われます。貴方は未だ未だ数回の失望を嘗(な)めて、大いに修行しなければ成りません。但し作の総体は、満更捨てた物でも無いですから、之を物にするには、熟練した手で全部書き直さなくては。」
阿一は戦場で負傷した時と雖も、是ほどの苦痛は感じなかった。彼の顔色は土の様に青くなった。彼は何の言葉も出ない。
江南は嘆息して、
「アア私は今日ここへ来なければ好かった。折角貴方へ喜びを与える積もりで、却って失望を与えました。」
と云っただけで、是も無言に陥って了(しま)った。やや久しくして、江南は何か思い付いた様に顔を上げ、
「オオこうしましょう。私が自ら興行人と言う積りで、此の戯曲(ドラマ)全体をソックリ此のまま買い受けましょう。そうして私の慣れた手で、全部を書き直しましょう。」
阿一は初めて顔を上げた。けれど未だ言葉は出ない。
江南「そうすれば、貴方も今まで苦しんだ甲斐が有りましょう。私が書き直せバ、貴方の天才を活かしつつ、全く見違える様な者になりますよ。」
阿一は未だ返事をしない。
江南「其の代わり、即金で貴方に百円あげます。即金で百円を、イヤ処女作で百円と言う報酬は、殆ど例が無いかも知れないが、私は唯貴方の天才を、幾分でも活かし度い一心です。但し私の自作と云わなければ、興行主が興行をしないかも知れないので、最初は私の自作として、舞台の上の結果を試みるのです。」
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