simanomusume81
島の娘 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(八十一) 女と女との暗闘
阿一も小笛も、今宵を、殆ど一生の浮沈の分る所と言う程に思って居る。今宵、若し此の下読みが、旨(うま)く行かなかったならば、此の戯曲は再び浮かぶ瀬も無く、葬られるで有ろう。この様に思って小笛は、今更の様に、自分の役目の重きを感じ、身体が震えて居る様に見える。
網守子は、先ず小笛と阿一とを、其れ々れの席に就かせ、愈々(いよいよ)と言う身構えをさせた。此の場に及んで、小笛は忽(たちまち)ち勇気が挫けた様に、
「何うしたら好いでしょう。私は動悸がして、声が続かない様に思います。」
網守子は励まして、
「普段、自分の部屋で朗読するのと同じ様に思い成さい。聴く人は、僅かに四十人か其所(そこ)らです。」
小「でも皆んな立派な方々でしょう。」
網「幾等立派な方々でも、皆な人形の方へ眼を取られ、誰も貴女を見ませんよ。」
阿一も少し叱る様な声で、
「今更心が挫(くじ)けては仕方が無い。宿を出る前にも、言い聞かせ置いたでは無いか。」
けれど無益である。小笛は動悸が鎮(しず)まらない様に、胸に手を当てた様である。
そうと見た初鳥添子は、横合いから進み出、
「オヤ、貴女は学校で朗読会へ出た事が無いのですか。」
小「学校では幾度も朗読したけれど、学校と此の席とは違います。」
添子は嘲笑(あざわら)い、
「そうねえ。社交界に出たことの無い田舎の人は、場打ちがするのも尤もです。小笛さん、心配なさるな、私が替わって上ましょう。私などは聴き手が多ければ多いだけ、益々心に張り合いが出て来ます。」
余(あんま)りそうでも無いであろう。過ぎる三年程の間、女優として田舎の劇場を廻って居たけれど、大した喝采を博すると言うことも無く、給金の上がる見込みも無かった為め、今は此家(ここ)へ転がり込んで居る。けれど其の様な事は誰も知らないが、兎にも角にも、此の嘲笑(あざわら)う様な言葉が、グッと小笛の癪に障った。
女と女とは何の様な場合でも、人知れず競争して居る。小笛は此の女に出来るのに、自分に出来ない筈は無いと言う気が起こって、
「イイエ、今夜だけは、如何に拙(まず)くても、私が勤めなければ成りません。」
添「などと綺麗な口を聴(き)いて、途中で声が出ない様に成れば困りますよ。尤も其の様な時には、直ぐに私が代わって上げます。其の為め私は貴女の傍に居る事に致しましょう。」
小笛は之をも断る訳には行かないから、
「ハイ何うぞ。」
と頼む様に答えたけれど、実は心の中で何で、此の女に代わりなどを頼む者かと、利かぬ気を引き起こした。
全く初鳥添子の嘲笑いが、小笛の心に思っても見なかった底力を起こさせた。小笛は必死の思いで気を引き締め、やがて何の様な聴衆でも恐れないと言う度胸が据わった。
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