巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune100

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.2.1

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

              百

 真に皮林育堂は、何の目的を持って小浪嬢を、男爵の妻にしようとするのだろう。彼は外に目的は無く、唯嬢と男爵とを夫婦にする丈が目的であると云う。此の異様な言葉に、嬢は暫し皮林の顔を凝視(うちみまも)るだけであったが、皮林は何か疑っていると見て、厳かに、

 「イヤ小浪嬢、私の相談に応ずるならば、何も問い返さずに、目を瞑(つぶ)って私を信じなければ否(いけ)ません。その代り信じて私の指図に従えば、二ヶ月と経たたないうち、男爵が必ず貴女に縁談を申し込みます。」
 皮林は如何なる秘術があって、この様に二ヶ月以内とまで請合うのだろうか。

 嬢は半信判疑で、
 「それにしても、貴方の言葉は余りに不思議です。何で貴方はその様に、私と男爵とを夫婦に仕度いのです。」
 皮「イヤそれは唯私の一身の仔細です。他人に関係の無い事なので、貴女にも打ち明けない積りでしたが、後々貴女に迷惑を掛けないと云う保証までに、一応私の真の目的を話しましょう。」
と云い、更に其の声を低くして、

 「貴女は先ごろ私があの園枝夫人と逃亡をした事は、勿論ご存知でしょうがーーーーー。」
 嬢「ハイ、勿論知って居ます。」
 皮「アノ逃亡は、実の所私と永谷礼吉との間に約束があって、園枝を取り除け、礼吉を男爵家の相続人にすれば、礼吉から私へ莫大な報酬をすると云う約束なので、夫(それ)で私は危険を冒してアノ様に事をを企てたのです。」
 と我が悪事を打ち明けたけれども、嬢はそれ程驚かず、

 「ハイ、私も多分はその様な事だらうと察して居ました。」
 皮「所が愈々(いよいよ)其の目的を達し、永谷礼吉が首尾よく男爵家の相続人定まった今と為り、彼礼吉は不実にも、私へ何の報酬も致しません。夫(それ)ばかりか私を邪魔にして、事によれば手を廻して、私を亡き者にするか分らない程の振る舞いです。

 勿論私は前から、彼と確かな約束書を取り交わして有るけれど、根が不正の約束故、私から永谷を相手取り、法廷へ訴える事も出来ず、私は泣き寝入りをしなければ成りません。夫が実に悔しいから、どうかして永谷へ、此の敵を打とうと思い、様々に考えましたが、敵を打つには、園枝を元通り男爵の妻にする外はない。

 併し夫(そ)れは今更出来ない事、園枝の代わりに、誰か園枝に劣らない婦人を、男爵の二度目の妻に取り立てれば、同じ事、斯(こ)う思って段々考えますと、貴女こそは才と云い、綺量と云い、園枝に優るとも劣らない婦人で、幸い貴女が男爵に目を付けて居ると分かったから、私は天の助けと喜びましたが、まだ貴女の駆引きに物足りない所がある、今の儘(まま)にして置けば、何時貴女が男爵の妻になれるか、殆ど分りません。夫(そ)れだから私は悶(もど)かしくて貴女を尋ねて来たのです。」

 偽りに富む巧みな弁舌で、誠しやかに述べ立てるのに、嬢は我が才色を園枝に優ると評せられた嬉しさに、心半ば酔った様に、はや合点の行った心地で、
 「成る程永谷へ復讐の為ですか。」
と呟(つぶや)き、独り飲み込もうとする様子なので、皮林は此の浮き足を見て、今一息と更に其の毒舌をふるい、また一層声をひそめ、

 「斯(こ)う打ち明ける上は、自分の弱味まで、貴女に知らさなければ成りません。貴女が男爵の妻と為り、自然と男爵が永谷を疎(うと)んじ、貴女の為に又遺言を書き替える事にでも成れば、唯永谷へ私の復讐が届くばかりでなく、私の身も助かります。と申す訳は、男爵が園枝を盗まれた悔し紛れに、その後私を恨む事は並み大抵ではなく、人を頼み又その筋へも訴えて、私を捜索させ、私は今は世間に隠れて居る人間です。少しでも顔を出せば直ぐ男爵の手の者に捕へられる恐れが有ります。」

 嬢「なるほど。」
 皮「私も是から身を立てて、世にも知られようと云う人間ですから、この様な事では仕方がない、何うか男爵の恨みを解き、私をそう追い回さない様に仕て貰わなければ、何の仕事も出来ません。此の点から考えても、何うにかして、男爵に二度目の妻を迎えさせれば、其の愛にほだされて、自然と前の恨みを忘れ、私を追い回さない様に成りましょう。

 男爵の妻である園枝夫人を誘(おび)き出したのは、罪と言えば罪ですけれど、此の類の艶罪は、今の世の紳士社会には有り勝ちの事で、男爵が此の追廻しさえ弛めれば、法律で問はれる恐れもなく、私は晴天白日の身と為ります。夫に男爵の妻を窃(ぬす)んだ代わりに、更に其の妻より身分も器量も優れた、貴女の様な才女を二度目の妻に上げれば、道徳上の罪も消え、心底から安心が出来るのです。」

 斯(こ)う云う訳ですから、どうしても貴女を男爵の妻にしなければ、私の身が立ちません。夫(それ)だから何の条件も無く、貴女に其の道を授け様と云うのです。私から道を授からなければ、貴女は二年、三年経っても、男爵の妻になれかどうか覚束なく、道を授かって、其の通りに行えば、ナニ二月とは経ちません。

 しばらくの間に、男爵は全く貴女に心酔して、貴女の奴隷の様になり、貴女を妻にしなければ、此の世が味気無くて、活(い)きて居る甲斐もないと思う様になります。サア何うです、私から道を授かり、其の通り行いますか、行いませんか。行うと仰(おっしゃ)るなら、ナニ左程難しい事柄でも有りませんから、今此処で直ちにお授け申します。お否(い)やならば、先日の五十金を頂戴して夫(それ)切りお別れにする丈です。何(いず)れとも確かなお返事を伺いましょう。」

と充分の勿体を附けて言い終わると、嬢は五十金を取立てられる恐ろしさに、到底否とは言い切り得ない場合であるが上、更に牡丹餅(ぼたもち)に頬を叩かれる様な相談なので、何で否やを唱えることが出来ようか。早や男爵の妻となる、後々の栄耀栄華を取り越して心に描き、幸福に酔い、深くは思案さえ廻らすことが出来ない様に、非常に熱心に、

 「授かりましょう。其の道を教えて下さい。」
と打ち叫んだ。
 知らず皮林は如何なる秘術を授けようとするのか。


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