巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune110

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.2.11

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

                  百十

 ただ一言、最後の返事を発しようとする間際に、牢の役人に踏み込まれ、園枝は生みの父母の名も聞くことが出来なかった。我が無罪の証拠をも得る事が出来なかった。古松が己(おのれ)の目的を達する事が出来ずに、匆匆(そうそう)に逃げ去ったことは、まだ園枝の運を開いていないので、非常に残念なことと云わなければならない。

 それは暫(しばら)く置き、茲(ここ)に常磐男爵は、憂き世の憂さを忘れる為、所々方々を旅行して、世界絶景の一に数えられる、瑞西(スイス)の山中に来て見たが、道連れと云っては、死人同様の小部石(コブストン)大佐に、二三の従者を引き連れただけだった。これで何うして憂さを忘れる事が出来ようか。

 特に朝夕に、大佐の何とも言えない程の、情け無い病状を見るに付け、是は全く我が身代わりに立った為かと思うと、常磐荘において有った不幸は、絶え間もなく心に浮び、我と我が身を苦しめて、一刻の安穏も得ることが出来ない。

 是と云うのも、我が身が園枝の様な、素性も分らない女を愛した痴情(ちじょう)の為であると、自ら深く誡(いまし)めたけれども、人既に五十の坂に近づいては、後々に望み少なく、唯心細いだけになり、傍(かたわ)らから、まごころを以って慰めて呉れる人が無ければ、心は自然に沈み易く、引き立つほどの血気はもはや無い。

 男爵の今の有様は、全くこの様な状態だ。思う事一として、自ら打ち鬱(ふさ)ぐ種とならないものは無く、殊に園枝が我が傍に在って、何事も我が気を察し、言わない中に良く悟って、痒(かゆ)い所に手が届くほどに傅(かし)づいて呉れた時から見れば、火の消えたのよりもっと心淋しい。若し男爵が初めから独身を守り通
したなら、如何なる不幸に逢っても、これ程まで心淋しさを感ずることは無かっただろうが、一度夫婦偕(とも)に棲む幸福に、身を慣らした為、殆ど今の身の上は、此の上一刻も耐えるのに、忍び難い想いがする。

 心の痴情を追い出し尽くしても、痴情は未だ全く絶えては居ないいのだろうか。
 煙草を喫(の)む人が煙草を捨て、酒に慣れた人が酒に離れてすら、殆ど忘れ難く物寂しいのに、一切の幸福を妻と偕(とも)にした人が、俄(にわ)かに此の境涯に落ち入っては、寝覚めが悪いだけでは無い。

 其の上に更にもう一つ、男爵の忘れる事が出来ないのは、常磐荘を出立する際に受け取った、彼の無名の手紙である。
 其の時は園枝の罪状悉(ことごと)く明白である様に思い、無名の手紙に園枝の無実を述べ列ねて有ったけれど、何人かの悪戯(いたずら)であろうと、焼き捨てたけれど、其の後裁判の進み方を留守居の者から知らせて来るのを見ると、園枝の不義の証拠、犯罪の証拠は一も挙がらず、総て雲を掴むような、曖昧の間に在ると云う。

 アア、園枝に真に罪があるのならば、其の証拠は何の為に挙がらないのだろうか。熱心な横山長作の様な者が、園枝の罪を証明する為、今もなお奔走し、時々は我が旅行先まで自ら機嫌伺いかたがた問い合わせに来る程であるが、尚直接の証拠が挙がらないとは、或いは、無名の手紙が真実ではなかったか。

 彼の手紙は当夜ヤルボロー塔に泊まり合わせた伊国(イタリア)人よりと有り。無名とは言え、確かに我に面会すべき場所まで記(しる)して有った。と云う事は無名では無い。その人自ら我に面会してまで、弁解する程の決心を示すからは、名を告げることよりもっと重い責任を帯びているとも言える。我が身は何故に一日だけ出立の日を延ばし、其の人に面会を求め、それが真に悪戯(いたずら)なのかどうかを、突き留めなかったのだろう。

 今更返らない事とは云え、若し彼の手紙が確実であって、園枝が真に無実なら、我常磐男爵こそ恕(ゆる)し難き罪を犯した者である。身辺に我が常磐家の財産を奪おうと、種々の陰謀を企(たくら)む者が有るのに、夫(それ)を知らず、却(かえ)って罪無き妻に罪を付け、其の操を奪い、其の位置を奪い、女としては耐える事が出来ない程の苦しさを負わせてしまった。

 後になって、全くの間違いと事が分ったなら、我唯世間に対し済まないばかりか、又唯だ園枝に対して済まないばかりか、我自ら我が身に済まない。我が心は、どのようにして我が過ちを許すことができるだろうか。

 この様に思い出すと、千々に心を裂かれることよりもっと辛く、寧(いっ)そ此の旅行を止め、直ちに英国に馳せ帰り、予審中である園枝に面会を求めて、再び其の口から、直々に弁解を聞いて見ようかと迄思ったが、其の度に又思い直し、否々之も痴情の為す業である。一旦充分に手を尽くし、園枝を罪人と見定めた、我が判断に間違いの有る筈は無い。心の底から、全く園枝の事を忘れ尽さなければ、我が迷いは晴れる時は無い。

 アア如何(どの)様にして園枝を忘れよう。唯園枝に劣らない、親切な女を探し、其の愛を得て、二度目の妻とすれば好いだろうか。ちょっと待て、人間の幸福は独身に在り。妻を娶らば再び間違いを起す元である。既に園枝の為に失敗し、又も新しい妻の為に、過(あや)まったなら、男爵常磐幹雄の名は、全く世間の物笑いと為ってしまうなど、右(と)や左(かく)と思い廻らせたが、其の中にも心の淋しさは、一日一日と募(つの)って来て、唯一身が陰気に沈んで行くのを覚え、最早、誰か我が傍に在り、親切に我が身を慰め、我が心を引き立てて呉れるのでなければ、我が健康はこの上続けることが出来ない。我は陰気さの為に、蒸せ死んでしまうと、この様に思い詰めるに至ったのは、丁度、男爵が彼の小浪嬢に廻り合う頃の心である。

 実に小浪嬢が男爵に向って運動するには、又とない好機会に投合したものと言える。


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