巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune126

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.2.27

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳
 
                  百二十六

 茲(ここ)巴里の郊外にパッシーと云う非常に静かな所がある。家屋の多くは、暇があり金がある人達が、隠居にと作った大小の別荘で、たいていは番人に留守をさせて、主人の不在なのが多い。常にこの土地に住んで居るのは、花屋、植木屋などの類で、外に日用品の小商する人が、所々に飛び散って在るだけである。この様な場所なので、人少なくして家多く、家少なくして樹木多く、四辺(あたり)は自ずから幽遠なるが中に、なお一層奥深く入り込んで、古い生垣に取り囲まれ、家ありや無しや、人ありや無しやと疑われるほど静かな、小作りの一構えがある。

 旧(もと)は或る画工の建てたもので、書斎同様に用いて居たものだが、其の画工が他に移ってからは、一、二度ほど人手に渡り、この数年来貸家となり、借り手の無い為、空き家になって居たが、この頃、何所からか借り手が来て、少しばかりの修繕を加えた儘(まま)で住み込んだ。

 この借り手の何者なるかは、誰一人知る人は無いけれど、唯隣に住む植木屋のみは、庭の手入れに呼ばれた事も有り、又朝、新しい花を持って来てくれとの注文を受け、其の後日々配達して、代価を受け取りに来る為、略(ほぼ)内の様子を知っているとか云う。
    
 或る日の事、この植木屋へ、盆栽幾種を見繕って買い度いと云い、入って来た五十恰好の客は、紳士としては、顔の色やや黒いけれど、言葉附きは非常に落ち着いていて、少しの事にも笑みを浮かべ、植木屋風情に、非常に慣れ慣れしく口を聞く様子は、なるたけ値段を負けさせようとの下心か、それとも外に思惑が有っての事なのだろうか。

 然れど莞爾(にこや)かな顔の何れかに、何となく気の許されない所がある。朴訥(ぼくとつ)な主人は、胡乱(うろん)《あやしい》の人の後に尾(つ)けて行く番犬の様に、非常に不機嫌そうにこの客に随(したが)って行くと、客は唯奥へ奥へと深く入り、庭の樹木を眺めると見せて、頻りに隣の家の裏口を差し覗(のぞ)く様子なので、主人は堪(たま)り兼ねて、

 「そこは隣の家ですよ。爾(そう)覗いては私が何とか思われます。」
 客は早くも紛らせて打ち笑い、
 「之は大失策(おおしくじ)り、己(おれ)は大層立派な樹が有るから、この庭続きだと思って居た。」
 と云ったが、暫(しばら)く経ると、自ずからこの言葉をさえ忘れたか、外の話に紛らわせて、非常に軽く、
 「主人、この隣の家は、長らく貸家に成って居たと思ったが、誰か借り手が有ったと見えるな。」

 主「ヘン、この庭続きと間違える程のほどの貴方が、好くその様な事をご存知ですな。」
 客「イヤサ、お前に云われて考えてみると、成程貸家で有った家かと思い出したのさ。惜しい事をしたよ。昨年茲(ここ)を通った時、俺が借りようと思って居たのに、まだ確か裏口に出入りの出来る潜(くぐ)り戸が有ったなア」

 何故にか、頻(しき)りに裏口の様子を探ろうとする様に云ったが、主人は返事をする様子も見えない。
 客はめげもせず、言葉を継ぎ、
 「己も借りようかと一応中を見たが、中々好く出来ていた。裏口を入ると、横手に台所口が有って、それから確か廊下に続いていたかしらん。さうして居間と寝間とが右だか左だかに有って。」
と思い出した様に云い。

 「ハテな、居間が右だったか、寝間が左だったか、ネエ主人」
 主「そうだな、人の家の案内は私にお聞きなさるより、泥棒でもする奴に聞く方が好く分りましょう。」
と答えるのは、この客を、泥棒の類と思っての事に違いない。客は却(かえ)って笑壷に入り、
 「この主人は世辞が無いから、誠に面白い、泥棒に聞くが好いとは名言だ。成程人の家の案内は、泥棒でもしようする奴が好く知って居る筈だ。アハハハハ」
と大声に打ち笑い、又他意も無い事を示そうとする様子は、何と誤魔化し方の巧者なことか。
 この様な所へ、この家の女房に案内されて、又入り来る客があった。

 意外な儲けに一日の稼業を休み、田舎へ散歩にでも出て来た、都の小商人の様に、非常に身軽な出立ちで、慣々しそうに満面に笑みを浮かべ、この家の女房に頻りと何事か話し掛ける様子である。
 前の客はこの客を見て、腹の中で、
 「ハ、此奴、巴里の探偵だ。アノ風は駆け出しの安探偵に極まって居る。」
 と呟(つぶや)いたが、是からは再び隣の裏口の様子を聞かず、主人を相手に、植木の事などを語り乍ら、油断無く後から来た客の言葉に耳を傾けていたが、後からの客は、そうとも知らず、この家の女房に打ち向い、

 「この頃、この隣へ越して来たのは、非常な美人だと云うじゃないか。」
 女房は亭主の朴訥に似ず、非常に口数多く、
 「ヘヘエ、この辺では何も噂は有りませんよ。第一この通り隣同士に住む私共さえ、未だ主人が男か女かその姿を見ない程ですもの。」
 
 客「イヤ、後姿をチラと見た人の話で、顔は分らないが、何でも姿は非常に素晴らしいと云うことだ。この家なぞへ、花でも買いに来そうなものだ。」
 女「ハイ花は毎朝配達します。偶(たま)に向うから用事が有れば、五十余りのお婆さんが使いに来ます。」
 客「フム、そうして主人の美人は、少しも姿は現さないか。何でも人の話では、夜々(よなよな)何処か巴里の劇場へでも出る、女俳優(やくしゃ)だと云う事だが。」

 女「アア多分そんな事でしょう。日の暮れ前に何処からか馬車で迎えに来、夜の二時頃に又馬車で送って来ます。その外は始終内にばかり居る様子で、私共には姿も見せません。」
 客「それでは愈々(いよいよ)女俳優か何んかだな。」

 此方に控えていた先客は、ここに到って又頷(うなず)き、
 「フム、愈々探偵だ。彼奴(きゃつ)、常磐男爵に頼まれて園枝の住居を探して居やがる。是で大抵探り究めたろうから、明日は常磐男爵が鼻の下を長くして、園枝に逢いに来るのか。ヘン待てば甘露降る日和かな。斯(こ)うなれば、己(おれ)も今迄辛抱して待つて居た甲斐が有る。サア凄(すご)い運動の時が来たぞ。」
と独語(ひとりご)ち、僅(わず)かばかりの植木を買って立ち去った。

 そもそもこのお客は何者なのだろう。


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