巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune132

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.3.4

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

                   百三十二
 
 曲者が忍び入ってから、二葉を奪って逃げ去るまで、実に咄嗟(とっさ)の間だったので、乳母も余りの驚きに殆ど何事が起きたのかを理解することが出来なかった。曲者が去った後に、唯、
 「大変だ。大変だ。」
と声高く叫び立てるばかりで、何うしたら良いか方法も分からず、空しく狼狽(うろた)え廻るばかりだったが、隣の部屋から、
 「何事です。」
と云いながら馳せ来る下女の声に少しく力を得、今しも主人の娘を何者にか奪い去られた旨を息急(せわ)しく延べ立てると、下女も共々に驚いたけれど、女二人の間では何の工夫も出るはずも無い。

 主の留守にこの様な容易ならない過ちがあっては、落ち度は乳母一人の所為(せい)ではなく、留守を預かる両人とも同様なので、顔と顔を見合わせて、或は直ちに最寄の警察に届け出ようかと云ったが、この様な片田舎に警察と云っても、簡単には行かない。今夜中に巡査が廻り来るか否かさえはっきりしない。それに主人(あるじ)が日頃他人に身の上を知られるのを嫌い、外に出るのさえ、顔を包む程の様子から考えても、警察に訴えるの良し否(あし)も定かではない。

 或は主人の出先まで知らそうかとも云ったが、主人の出先が那辺(いづれ)なるかは両人とも少しも知らない。右(と)せん左(かく)せんと空しく評議に時を移した末、何れにしてもこの様な事は一刻も早く主人の耳に入れなければならない訳なので、両人で主人の帰り道まで出て行って待つ事にしよう。主人が毎夜巴里の方から帰って来る事だけは分っている事なので、その街道を先へ先へと行く中には、必ず主人の馬車に逢うだろう、そうすれば幾分の罪も軽くなるだろうと、女丈の考えで相談が茲(ここ)に一決したので、先ず戸締りを厳重にし、両人連れ立って門に出たが、まだ幾許(いくばく)をも行かないうち、主人の馬車は静かな闇に響いて帰って来た。

 両人(ふたり)はそれと見て、馬車の左右から取り縋(すが)る様に、
 「貴女様のお留守に大変な事が出来ました。」
と声を揃えて云うと、少しの暇も娘を案じて忘れる間さえない程の園枝なので、早やそれかと胸躍らせ、
 「娘の身に何か変わった事でも有ったのかえ。」
と、急込(せきこん)で問いながら、転がる様に馬車を下りた。

 乳母が殆ど答え兼ねて、口籠る間に、下女は進んで、
 「ハイ、お乳母さんが嬢様を抱えて寝て居る所へ、裏口から曲者が這入(はい)りましてーーーー。」
となるだけ咎めを乳母の方に振り向けて述べようとすると、乳母も茲(ここ)は一大事と口を開き、
 「そのくせ下女の方が、私より裏口へ近い部屋に居たのです。それなのに私の叫ぶまで、曲者の這入ったのを知らず、足音さえも聞かなかったと云うのです。」

 園枝は早や半ば狂乱の態(さま)で、
 「それから曲者はどうした、娘は、娘は。」
 乳母「ハイその曲者は私を蹴倒しまして、そうして嬢様を引き攫(さら)って逃げ失せました。」
 園枝は、
 「エ、エ、エ」
と腸を断つ様な声を発し、馬車に指図を与える事さえ打ち忘れて、家の内へ入り、娘二葉の攫われたと云う乳母の部屋へ飛び込んで、

 「二葉、二葉」
と呼び立てるばかりだったが、
 「イイエ、貴女様、二葉様は曲者かに攫(さら)われて、行方が知れなくなったのです。幾許(いくら)お呼び立てなさっても了(いけ)ません。」
と注意する下女の言葉に初めて我に返ったが、

 「エ、二葉が盗まれたーーー」
と云い、その儘(まま)その所に臥(ふ)し沈み、身を悶えて泣き叫ぶのは、譬(たと)え様もない悲しみと云わなければならない。暫(しば)らくの間は泣き声の間から、
 「アア、私が悪かった、女の身に余る望みを起し、夜な夜な家を空けたのが母の勤めを怠ったと云うもの、親の屋敷を買い戻したいなどと、身に備わらない幸福に目が眩(くら)んだ為、その様な事になったのだ。自分の分さえ守り、無事な田舎に暮らして居れば、何の間違いもないものを。」

と返らぬ悲嘆(なげき)に身を責めて、起き上がることも出来ない程だったが、又暫くしてキッと心を励ましてか首を上げ、涙を払い、色を鎮めて、心の底を測り知れない程に落ち着け、乳母に向って、その曲者が忍び入った前後の事を詳しく問い、一々胸に畳み込んで、深く決する所があると見え、

 「私は明日の日の暮れるまでに帰って来るから、それまで気遣わずに二人で留守をしてお在(い)で、他人から問われる筈も有るまいけれど、若し近所の人などに問われても、決して今夜の事を言うのじゃないよ。」

と堅く二人の口を留めた末、踏む足も非常に確かに、再び門外(おもて)へと歩み出ると、以前の馬車がまだ指図を待ちながら控えて居たので、園枝は之幸いと又もこの馬車に乗り、巴里の方を指して急がせたのは、何辺(いずれ)に行こうとするのかは分からない。



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