巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune135

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.3.7

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

                   百三十五

 横山はダンフォート街四十三番館の店先に立ち、なおその住人の姓名はと見ると、鍍金職と記(しる)した下に、少し細かい字で、「芦田岩三」と記してある。この者は必ず古松の相棒にして、古松の頼みを受け、男爵の金子を受け取ることに成っている当人に違いない。

 横山は丁寧に入り口の戸を叩くと、内より其の戸を引き開(あけ)たのは、胡麻塩髯が顔中に茂った六十恰好の老人で、一癖あるに違いない根性は、その容貌に現われていた。
 横山は非常に真面目な代言人の風を装って、
 「芦田岩三氏に面会を願い度い者ですが。」
 老「岩三とは私ですが。」

 横「貴方ならば、このダンフォート街四十三番館から差し出した或手紙の事に就いてーーー。」
 老「アア分りました。貴方は常磐男爵の代人ですか。」
 横「ハイ」
 老「そのお話は私が伺いましょう。先ず此方へ。」
と云い、店の次にある非常に穢(むさ)苦しい居間へと連れて行って、一脚の椅子を与えて、其の身も共に腰を下ろし、

 「常磐男爵から来たならば、英貨一万ポンドに相当する金貨を持って来ましたか。それをお持ちにならなければ、何の話も無益ですが。」
 短刀直入の勢いを持って問い来たが、横山は故(わざ)と落ち着き、
 「イヤ、金子の一条は追々申す事として、私は職業が代言人ですので、少しの過ちでも職業上の落ち度になります。何事に付けても、人より一倍も二倍も大事を取って掛かりますが、この度の事柄
も、私は直ちに警察へ訴えるのが好いだろうと男爵に忠告しました。」

 芦田はセセラ笑って、
 「フム、男爵がその忠告に従わず、強いて貴方を此処へ寄越したのでしょう。男爵の方が貴方よりズット物事を弁(わきま)えて居られる。若し男爵が貴方の忠告通り警察へでも訴えれば、赤児(あかんぼ)の命が有りません。」
 横山は故(わざ)と鋭く、
 「では私の方で警察へ訴えれば、貴方の方で直ぐに赤児を殺すと云う脅迫ですか。」

 岩「脅迫だかどうだかその様な問答はお断りです。赤児を連れて居る人が、一万ポンド相当の金と引き換えに赤児を返すと言って、その旨を私に頼み、私から男爵へ通じたのですから、私は取り次ぎです。赤児が欲しいならその金を持って来る丈の事。ハイそれとも金が惜しいならば赤児を捨てるだけの事です。唯二つに一つの返答を聞けば宜しい。」

 横「ではお金を上げましょう。」
と云いながら横山は、携(たずさ)える皮鞄(カバン)の口を開こうとし、又思い直した様に、
 「イヤ、私は今申す通り、何に付けても大事を取ります。金を渡す前に聞いて置く事が有る。赤児は無論この場で金と引き換えになさるでしょうネ。」

 芦田は少し当惑し、
  「イヤ、金と引き換えと云う訳には行きません。金を先ず受け取って。」
 横「それから二時間か三時間の後に赤児を渡すのですか。」
 岩「イエ、何うしても二週間の後でなければ赤児は渡されません。」
 横「ハテナ、二週間の後とは何の為で。金は先ず受け取って、その上なお赤児を渡す迄の間に幾度も金を強請(ゆす)ろうとする了見ですか。それとも実際赤児を遠い土地に送って隠してある為、二週間を経なければ此処へ連れて来ることが出来ないからですか。」

 是れは最も大切な疑点なので、彼の心を探るのには丁度好いと、横山は大胆にも、
 「それは困る、男爵の方では、直ぐにも赤児を取り戻し度い了見だから、金は倍に増しても好いから、今日中に此処で引き換えると云う事にして貰おう。」
 金を倍増しとは、芦田の様な悪人に取り、何よりも心が動く事柄なので、芦田は殆ど残念で仕方が無いと言った様子で、独り語ち、

 「そうだろうて、常磐男爵とも云われる者が、万や二万の金で大事な娘を捨てる様な筈は決して無い。それだから己(おれ)の云わない事か、此処で待ってさえ居れば、今日明日には金になると、アレ程諭したのに、彼奴(きゃつ)め、英国から自分を付狙う探偵が来たとか云い、詰まらない事を心配して、赤児を連れたまま、伊国(イタリア)などへ逃げて行くものだから。」
と言って更に悔やむ様子である。

 是れは勿論独語(ひとりごと)なので、一々は横山の耳に入らないものの、横山は探偵の常として、言葉の端々を拾い集め、さては彼古松め、私が英国から来た事を嗅ぎ知り、男爵への掛け合いをこの者に托して置き、自分は赤児を連れたまま、伊国へ逃げて行ったかと、是だけの事は充分に見て取ったので、又故(わざ)と迫立(せきた)てて、

 「サア何うです。今此処で取替えましょう。」
  芦「イヤそうは行きませんから、斯(こう)なさい。貴方は五千ポンドだけ今日私に渡して帰り、後の五千ポンドを今から十日後に赤児と引き換えると云う事に。」
  横「イヤ、赤児と引き換えでなければ一銭でも置いて行く事は出来ません。」

 芦田は又も脅迫の語を弄し、
 「今日五千ポンドと云うのは、私の方で一歩譲った話しです。それも聞かずに達って引替えろと仰(おっしゃ)れば、私は更に当人へその旨を言って遣ります。当人は随分気短い男ですから、貴方が私を信用せず、たって引替えを言い張ると知れば、立腹の余り赤児を何の様な目にに逢わしますか。」
と云い、又忽(たちま)ち声を和らげ、

 「どうです。十日後と云う私の言葉を信じ、今日は五千ポンドだけ置いてお帰りなさっては。其の方が第一赤児の身の安全に成りましょう。」
 横山は平気で、
 「ナニ何れ程短気な人か知りませんが、その赤児が即ち金の蔓ですもの、何したとしても、赤児の身を害する様な事を仕ますものか。十日はさて置き、三十日でも、二月でも、金になるまでその赤児を自分の身よりも大事にして労わって置くに極まって居ます。」
と痛く相手の急所を突くと、相手はこの一語で、直ちにこの横山のことを、探偵では無いかと疑い始めた様子だった。

 探偵でなければ、何うしてこの様に見破る事が出来るだろうか。
 彼は全く様子を変えて、
 「貴方が私を罪人として警察へ訴えようとしても、何の証拠も有りません。男爵に遣った手紙も無名ですから、私の出したものとは認められません。私は是から手を替えて、男爵へでも園枝夫人にでも、直接に掛け合いますから、もう貴方の話を聞く必要は有りません。」
と云い切って、二度と取り合う景色は無かった。




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