巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune136

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.3.9

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

              百三十六

 又取り合う様子も無い芦田岩三の様子を見ると、我が身が探偵と疑われ始めたことは明らかだが、今疑われては、後々の行動に都合の悪い事もあるので、横山は好い加減に云い繕い、兎に角今一度男爵の意見を聞いた上で、再び尋ねて来ると約し、此処を立ち去った。
 しかしながら横山は再び此処に来る積りはなかった。岩三の言葉で、彼の古松が赤児を連れたまま伊国へ逃げて行ったことは、略(ほぼ)見当も付いたので、岩三を捨てて置いて、直ちに伊国へ出張し、古松を捕えようと決心をした。

 それはさて置き、小児(こども)の紛失に打ち驚き、直ちに巴里を指して急ぎ去った母園枝は、日の未だ出ないうちに巴里に到着したが、是もこの様な事柄には、探偵の外に頼みに出来る者が無いのを知っているので、予(か)ねて噂に聞く一、二の探偵を尋ね、事の仔細をを打ち明けたけれど、何れも余り漠然とした事件で、日を限って尋ね出(いだ)すことは甚だ難しいとの見立てであったが、独り最後に尋ねた探偵はやや見込みのある返事をした。

 抑(そ)もこの探偵は誰かと言うと、当時仏国で無双の機敏家と称せられていた、重髯(じゅうびん)先生である。(訳者曰く、姓はヂュビン、名はビーヤ、この人の探偵事蹟は幾多の書に散見す。)
 先生は探偵の職に在ること既に三十余年にして、欧州何れの国の言葉をも、その現地人の様に好く語り、罪人を追って各国を遍歴したことは、何回あったか数え切れない程だ。しかもその気質は、大いに金銭貯蓄の念に富み、政府から数多の給金を受ける上に、報酬さえ多ければ、如何なる事件をも引き受けないと言うが事なく、又引き受ければ、何分かの手掛かりを探り出さなかった事はなかった。

 実に重鬢先生と云う名は、子供にまで知られる程であったが、園枝もこの人ならばと思い、最後にその住居(すまい)を尋ねて行くと、先生は直ちに居間に通し、何やら繰り返して調べて居た書類を閉じ、先ず報酬の事から口を開いた。

 「私は一時間に数フランの所得がある極めて貴重な身分ですから、私に時間を割かせようと云うには、余程報酬が無くては成りません。その代り報酬さえ充分ならば、他人が探る事が出来ない事まで探って上げます。貴女は全体どれ程の報酬が払えますか。」

 園枝は金銭など考える場合でないので、劇場から得る我が給金の過半を挙げ、
 「ハイ、一週千フランづつ差し上げることが出来ます。なお探し出した時には別に一万フランの報酬を致しましょう。」
 先生は居間の隅に安置してある大きな弗(ドル)箱を顧みて、

 「フム、宜しい、一周に千フラン、別に懸賞が一万フラン、貴女は私に物を頼む法則をご存知です。引き受けましょう。シテその事件は。」
 問われて園枝は猶予も無く、昨夜の始終を詳しく語ると、先生はなお満足せず、更に園枝の身の上を問い始めた。

 園枝は身の上を語ることは、辛くない事は無いけれども、隠して置くことが出来ない場合なので、仕方なく打ち明けると、先生はなお様々に根掘り聞いた末、少しも考え込むこと無く、
「フム、そうすると貴女と男爵とが、再び仲が好くなるのを見て、男爵の相続人と極まって居る永谷とか言う者が、さてはその児に身代を奪われる恐れが有ると、斯(こ)う思って、早速手を廻し、その児を奪った者かとも疑われますが、外にこの疑いに合う様な事実は有りませんか。」

 園「少しも有りません。」
 先「ではこの疑いは間違いかも知れません。私の流儀は起こる丈の疑いを一々爾(さう)して、それを片端から調べて行く事に在るのです。こうして詮(せん)じ詰めて見れば、その中に事実に当る疑いが分って来ます。
 フム永谷ではない、例の盗賊でもない。アア、分りました。人の子を攫(さら)って、その親から金を強請(ゆす)る悪人の仕業です。貴女と男爵とが廻り合ったその夜の中に、直ぐにその様な事をしたとすれば、多分は日頃から両人の身の上に目を付けて居た悪人でしょう。」

 園「その様な悪人と言ってもーーーーー。」
 先「イヤ、無いと限りません。貴女に分らなくても、どの様な所に有るか分りませんから、併しナニ、余り急ぐには及ばない事です。第一その児は無事で居ます。さうして茲(ここ)幾日も経ない中に必ず貴女か男爵の許へ、その悪人か或は代人かが強請(ゆす)りに来ますよ。強請りに来る心がなければ、人の児など攫(さら)って行くものではない。だから気を静かに両三日お待ちなさい。爾(そう)して強請りに来た時に一寸私へ知らせて下されば、私が苦も無くその児を取り返して上げます。」

 事もなげに言うのを聞いて、園枝は却って力無い気がせられ、
 「両三日も静かに待って居られる程なら、何もこの通りお頼みには参りません。貴方のお見込は後にして、先ず実地に捜索を始めて戴き度いと思いますが。」
 先「勿論です。見込みは見込みでこの通り立てて置けば、貴女が私の言葉に従って待つ間に、私の方では充分に捜査の手を廻します。」
        
 園「どうぞそう願います。」
 先「承知しましたが、その児の写真は有りませんか、写真でも有れば大いに捜査の便(たよ)りになります。」
 園枝は提げて居る手皮鞄(カバン)に娘二葉の写真一葉入れて有る事を思い出し、有りますと云い、取り出して先生の前に置くと、先生は一目見て、非常に異様に眉を顰(ひそ)め、独り何事をか呟(つぶや)いた末、忽(たちま)ち思い直した様に、

 「是で宜しい。直ぐに捜査を始めますから、今日は先ずお帰り下さい。」
 園枝は帰る気力も無いけれど、この上長居も無益と思い、
 「何分宜しく願います。」
と呉(く)れ呉れも頼んで置いて、立ち去ったが、後に先生は古い文庫の中から、似か寄った又一枚の写真を取り出し、之を園枝から受け取った二葉の写真と並べて置き、恰(あたか)も見比べる様に双方を打ち眺め、

 「実に不思議な事も有るものだ。直ぐに出張して動いてみるか。」
と云い、今迄とは打って変わり、非常に忙しそうに立ち上がり、
 「イヤもう一度、今の婦人に良く聞き糺(ただ)さなければならないわい。」
と独り語(ご)ちながら思案する様は、尋常(ただごと)とは思われない。




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