巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune144

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.3.17

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

                   百四十四

 この時、夜は既に十時過ぎ、今からフレツタの海浜に行っても、真夜中過ぎにならなければ其処(そこ)に着くことが出来ない道程(みちのり)だが、公爵も重鬢先生も夜明けを待つ気は無い。この様に云う間にも、少女二葉の身の上に如何なる間違いが有るかも知れない。一刻の手遅れの為に、取り返しの付かない過ちに陥ることも、往々にして有るのが浮世の習いなので、直ぐに馬車の用意を命じ、二人ともこれに乗ってこの宿を出発したが、道の途中でこの地の警察署の前を通ったので、先生は候爵に向かって、

 「一寸警察署に立ち寄り、様子を聞いて見ましょう。英国の探偵が古松を何うしたか、事に依ると古松の口から委細を聞き、彼が既にフレツタの海浜へ出張したかも知れませんから。」
 侯「イヤこの警察に聞いても駄目です。先刻既に私が尋ねたのに、何も知らせて呉れません。他国人に対して極めて不親切な警察です。」

 重鬢先生は笑みを浮かべ、
 「イヤ、候爵、警察の方へ掛けては、貴方と私は違います。私は欧州何れの国の警察へ行っても、署長の官房(注1参照)へ案内無しに歩み入る事も出来ますから。」
と言いながら候爵の返事を待たず、ヒラリ降りて警察署の中に入ったが、凡そ二十分程も経て、出て来て、再び馬車に乗り、まずその御者に、

 「サア急げ。」
と命じて置き、様子如何にと問いたそうな侯爵の顔を眺めて、
 「上首尾です侯爵。英国の探偵横山長作は頻りに古松を責めて居ますが、古松は唯商用でこの地へ来たので、子供の事などは知らないと言い張るのです。それから私は横山長作を傍(かたわら)へ呼び、彼に事情を聞きますと、彼の熱心さは尤(もっと)もです。彼はこの国へ来る時、呉れ呉れも常磐男爵に頼まれー。」

 候「常磐男爵とは誰のことです。」
 重「園枝夫人の良人(おっと)です。」
 侯「フム園枝を不義者と疑って、牢に迄下したと先刻貴方がお話なさったその馬鹿者ですか。」
 重「そうです。ですが侯爵、常磐男爵を一口に馬鹿者などと仰(おっしゃ)るのは邪険です。成程園枝夫人に対する常磐男爵の過ちは、殆ど許す道もない程ですが、全く種々様々の事情に欺かれたと云うもので、貴方でも、あれだけの事情が有れば、あれだけの過ちに陥いります。

 深くは知りませんが、常磐男爵は好く貴方に似た気質です。善人です。そうして既に自分の過ちを認め、十分に詫びて居るだけでなく、その過ちを償うだけの苦労を嘗めて居ます。それに初めて園枝夫人を救い上げ、教育を施したのも常磐男爵ですから、それこれ思い合わせれば、貴方は常磐男爵の過ちを寛大に見て、幾分かは許して遣らなければなりません。」

 流石(さすが)老練の探偵だけに、その云う所は人情を噛み分けて、穏やかなる言葉であったが、侯爵はまだ気持ちが治まらないので、許すとも許さないとも言わず、唯だ、
 「それからその英国の探偵はどうしました。」
 重「ハイ、その横山が私へ打ち明けて言いますには、常磐男爵がどうしてもその二葉を探し出し、それを手柄に園枝夫人に詫びをする積もりだから、何が何でも二葉を連れて行って、常磐男爵に渡さなければならないと云います。」

 侯爵は寧(むし)ろ不機嫌に、
 「それが全体間違って居る。園枝の奪われた娘を、常磐男爵が横取りすると云う筈はない。」
 重「イヤ横取りではありません。その娘を抱いて園枝夫人の許へ行けば、園枝夫人もその親切に感じ、元の通り夫婦に成られるだろうと、男爵はこう思っているのです。」

 侯「そうは行かない。二葉は私が抱いて園枝の所へ行き、園枝と親子対面の土産にするのですから。」
と云い、また少し考へて調子を変え、
 「しかし貴方は、未だその横山長作とやらに、大事の秘密を知らせてはいないでしょうネ。」
 重「ハイ未だ知らせは致しませんが。」
 侯「それが好い。常磐男爵の手下などに知らせて堪(たま)るものか。」

 重「唯私は余り横山が気の毒なので、その小児を連れて来れば、貴方にご相談の上、横山に託して仏国へ連れさせて遣ろうかと思いました。」
 侯「それは出来ません。無事園枝に渡すまで一刻も私の手許を離す事は出来ません。」
 是で重鬢先生も、侯爵の決心を動かすことは出来ないと見、又親子の情として無理も無いことと思い遣り、強いてとは言い張らず、無言となって控えているうち、馬車は漸(ようや)くフレツタの漁村に着いた。
 
 侯爵は先に降り、寝しずまっている一家を指し、
 「この家です。」
と云い叩き起すと、果たして先程見た彼の漁師が起きて来たので、侯爵は先刻の少女を引き取りに来た旨を告げると、漁師は他人から預かった者を、預け主より外の人に渡すことは出来ないと云うので、侯爵が更に、彼の少女は我が孫であると言い聞かせたが、漁師はなおも承知しない。

 重鬢先生は押し問答の果てしないのを見て、侯爵に向かい、
 「この漁師を寧府(ネーブル府)の警察まで同道し、古松の捕われて居る所を見せ、そうして承知させる外は有りません。」
と云うと、漁師も預け主が果たしてこの子を奪って来た為、捕われて居る者ならば、警察の指図に従い、この子を誰にでも引き渡すのを拒まないと云う。

 是れは朴訥な田舎人にとって道理千万な言葉なので、この漁師に二葉を抱かせ、共々馬車に載せ、又も寧府(ネーブル)に引き返し、警察署の前に着いたのは、早や東天の白く暁(あ)けた後であった。



注1;官房・・・署長に直属し、機密事項、予算、会計、人事、文書の受付などの事務をとる機関。



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