巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune147

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.3.20

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

             百四十七

 永谷と皮林はカレーに一夜を明かすつもりで、静かな宿を求め、その一室に閉じ籠ったが、この両人何を相談するかと見れば、永谷から先ず口を開き、
 「皮林君、何で僕をこの土地まで呼び寄せたのだ。僕はもう君の相談には懲りているよ。毎(いつ)も恐ろしい事ばかり企むから。」
と非常に心配そうに問い掛ける。皮林は相手を一呑みに呑み込んだ口調で、

 「そうサ、恐ろしい企みだけに、其の効き目も又驚く可(べ)き程じゃないか。君が常磐男爵の後嗣(あととり)として安楽に暮らして居るのは誰のお陰だね。僕が恐ろしい企みをせずに居て見給え、君は今頃借金で首を縊(くく)って居る所だ。」
 永「イヤ、常磐男爵の後嗣(あととり)でも少しも安楽な事はない。君のした事を考えると、僕はその露見の日が恐ろしくて、時々夜なども眠られない事が有る。」

 皮「ヘン、君は夜寝られない位で済む。僕などは昼間さえ安楽には顔を出されない程に成って居る。誰の為だ。総て君の為だよ。君に一刻も早く大財産を相続させ度いばかりに、何年も心苦しめ身を苦しめて居るのに、君から恨まれて堪(たま)るものか。」
 永「僕も爾(そう)恩に着せられては堪らない。其の相続と言っても、確かに当てになる事ではなく、既にアノ園枝と僕の伯父常磐男爵とが再び廻り逢う事に成ったと、君が先頃の手紙で僕に知らせて来たじゃないか。二人が元の通り仲良くなれば、僕は又勘当だ。君の恐ろしい企みの効き目はそれで消えしまうのだ。」

 皮「そうサ、大方消え掛けて来たから、それで君を呼び寄せ相談するのだ。相談して二度と消えない様にするのだ。」
 永「そうするには又何か恐ろしい企みを始めるのだらう。」
 皮「エエ君は本当に五月蠅いよ、女の様で。少し無言(だま)って居給え。僕から聞くことが有る。君の伯父は未だ遺言状を書き替えて居ないか。」

 永「未だ僕へは何の沙汰も無いから、矢張り以前のままだろう。」
 皮「フム、以前のままなら今以って君が常磐男爵の相続人で、常磐男爵が今の間に死にさえすれば、君は忽ち大金持ちになるのだな。」
と、人の死ぬのを憐れとも思わない様子で、非常に落ち着いて問い来るので、今に初まった事では無いとは云え、永谷は顔を青くし、

 「その様な事は言って下さるな。僕は先年も言った通り、伯父が百まで生きようとも気永く待つ決心をした。若し君の企みで、伯父を殺しでもしようものならー」
 皮「常磐男爵を殺して悪ければ、園枝を殺そう。園枝と娘二葉とを殺そうよ。そうしなければ、到底アノ大財産が君の手に落ちて来ない。」

 永「園枝にしろ、誰にしろ、仮にも人を殺すなど云う事は、僕の前で云ってくれるな。僕はその様な相談には乗らないから。」
 皮「ヘン、臆病者、狡猾者、君は成程、この様な相談に乗らなくても、安楽に世を送る事が出来ようが、僕はそうではないよ、斯(こ)うしなければ生きて居られないよ。君を金持ちにして遣りたいと云う親切な心の為に、僕は何度も罪を犯し、今はその罪が露見する秋(とき)となった。」

 露見と聞いては恐れない訳にはいかない。
 「エ、エ、露見」
 皮「そうサ、君は未だ知らないだろうが、前に話した古松が捕まったよ。」
 永「君は古松が生きて居る中は安心出来ないと云ったじゃないか。」
 皮「そうよ。」
 永「その古松が捕われて死刑にでも処せられれば、却(かえ)って安心ではないか。」

 皮「オヤオヤ、君の没分暁漢(わからずや)にも困るよ。古松が裁判所で尋問を受けて見給え、必ず僕の事まで言い立てる。彼は一々僕の悪事の証拠を握って居るから、彼の次に捕縛されるのは必ず僕だ。僕はもう少しも猶予して居る事は出来ない。」

 この者が若し捕縛されて殺されるのは、結局我が為に安心であるとは、永谷の心の底に深く潜んでいる考えに違いない。
 皮林は更に語を継ぎ、
 「だからどうしても至急に男爵に死んで貰わなければ。」
 永「僕の伯父が死んだからと言って、君が助かる訳ではないだろう。古松が白状すれば君は矢張り捕われるだろう。」

 皮「勿論サ、だから至急に男爵に死んで貰い、常磐家の財産を君の物にし、君から其の半分を分けて貰いー」
 永「エ半分」
 皮「爾(そう)サ、僕の尽力で君が相続すれば山分けは当然だ。山分けでなくて、誰が悪事を働くものかネ。悪人の仕事は何でも山分けと、昔から相場が極まって居るワ。」

 永谷がアッと呆れて其の口がまだ塞がらない間に、皮林は又語を継ぎ
 「そうして君から分けて貰ったその財産で、僕は外国に逃亡するのサ。どうせこの国では逃れ切れない。旨く仕事が済みさえすれば、遠く米国か豪州へ逃げて行こうと初めから決めて有る。今僕が考えて見るのには、古松が僕の事を言い立て、その筋から僕に捕吏を差し向ける迄には、今から二月ほど掛かるだろう。茲(ここ)で直ぐに男爵に死んで貰えば、それまでの中に君の相続が済み、僕への分配も済み、僕の逃亡の用意も整う。アレ丈の身代を正金にするには捨て売りにしても一月は掛かるだらう。エッ君、何を驚くのだ。男爵を殺す日には、園枝と其の娘とも合わせて殺すから僕も思い置く事はない。」

 永谷は優柔不断な男ではあるが、この様な恐ろしい事を聞いては何とか決心せざるを得ず、
 「アア僕はそそ様な恐ろしい事柄に到底同意は出来ない。是までの交際として、茲(ここ)で君と僕と友人の縁を絶とう。」
 皮林は落ち着いて、
 「では仕方がない。外国へ逃げる旅費も出来ず、君と二人で捕縛せられ、同じ罪で処刑を受ける迄の事だ。」

 永谷は又驚き、
 「僕が何で捕縛せられる。」
 皮「無論の事サ、僕が捕われれば、僕は直ぐに自分の罪を君に被(かぶ)せて仕舞う。男爵や園枝に対する今迄の悪事は、総て報酬の約束で永谷礼吉に頼まれ、余儀なく犯したと斯(こ)う云うのサ。そうして裁判官を動かす丈の証拠は幾らも有る。第一僕の今までの犯罪で最も利益を得るのは君だろう。

 その上に僕が君から受け取って有る報酬の約定書も有る。誰が見ても、僕は君に使われて居る手下だから、そうサ、僕がまあ十年の懲役なら君は終身か死刑だ。君の方がどうしても発頭人として僕より重く罰せられる。無論君は承知だらうネ。男子に二言はないよ、永谷君。」
と厳重に念を押した。




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