巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune149

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.3.22

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         捨小舟  後編   涙香小史 

                   百四十九

 園枝は重鬢(じゅうびん)先生の手紙を読み終わり、
 「オオ、是でやっと安心した。ですが男爵、この手紙に娘を見出したその人とは誰でしょう。その人が重鬢先生と一緒に来ると云うことですが。」
と男爵にその手紙を示すと、男爵も読み終って眉を顰(ひそ)め、
 「そうだね、その人が支度するまで、重鬢先生も待って居ると云う所を見ると、唯の人とは思われない。」
 園「若しや貴方の所へこの手紙を持って来た英国の探偵と云うやらが何かその人の事を話していませんか。」

 男「イヤ何も云わない。」
 園「勿論その人が娘二葉を見出して、重鬢先生へ知らせて呉れたのは何よりの大恩で、私はどの様にでも謝しますが。それにしても、重鬢先生と共にこの土地へ来ると云うことが、理解出来ません。」
 男「そうだね。実に理解が出来ない。或は伊国(イタリア)の探偵吏ででもあるのだろうか。」

 園「何にしてもその探偵に問うて見れば分かりましょう。」
 男爵は英国の探偵横山長作が、かって園枝を捕縛したばかりか、園枝に対する様々な証拠を集めようとした事を知れば、その名前を園枝に聞かせる丈でも、大いに園枝の機嫌を損ずるかも知れない事を恐れ、少しも園枝の前では、横山の名前を語らなかった。

 まして園枝と横山とを顔を合わさせる気は無い。それに横山はこの朝、既に至急古松を英国の法廷に引き出さなければならないと言って、この国を立った後なので、
 「イヤ英国の探偵に聞こうにも、彼は既に英国へ向けて立って仕舞った。」

 園「では致方(いたしかた)が有りません。重鬢先生の帰る時には、自然その人が誰かと云う事が分かりますから、それ迄待つより外は!」
 男「アアそれが好い、何でも私の考えでは、伊国で探偵を職業として居る人で、直々和女(そなた)に逢えば、随(したが)って沢山の報酬が得られると、斯(こ)う思っているものに違いない。そうして重鬢先生と日頃から余ほどの知り合いだろう。だから先生がその人の仕度の出来るのを待つと云うのだ。」

 園枝は殆ど待ち遠しさに、堪(た)えられない様に、
 「それは何うでも好いのですが、まだ一週間経たなければ、二葉が帰って来ないと云う事は、重鬢先生も余り気永過ぎますよ。私はもうジッとして一週間は待って居られません。」
と云い、我知らず深い嘆息(ためいき)をもらすと、男爵はその図を外さず、前から心に蓄えている一思案を口に出し、

 「オオきっとこの間が待ち遠しいだろう。淋しくもあるだろう。さあ和女(そなた)の淋しさを、慰めること迄には行かないだろうが、先日劇場へ行って以来、あの小部石大佐が頻りに和女に逢いたい様子であるが、健全な人とは違い、今日此処へ来て、今日又直ぐに帰ると云う訳にも行かないから、どうも泊り掛けの用意をしなければ連れて来る事も出来ないけれど、どうだろう、和女は大佐に逢って遣っては呉れないだろうか。承知とさえ聞けば、私が明日にも連れて来るが。」

 この様に言う心は、前から園枝が厚く大佐を尊んで居る事を知り、大佐を園枝の傍に置けば、園枝の心自ずから昔に帰り、我と再び夫婦の縁を円にする便りにもならないかと思うが為に違いない。
 園枝は物心を覚えて以来、大佐の様に、真に友達の情を以って、我が身に交わって呉れた人は居なかった。それに大佐が全身不随となった事は、獄中で聞き及び、その後でも折に触れて気に掛かかって居た事なので、

 「大佐の今の容態は何の様ですか。」
 男「イヤ所々に土地を変え、気を換えさせて養生した為か、医者さえ驚く程に回復し、今はもう薬を飲まなくても好くなったので食事も進み、全く無病息災の人とも言い度い程で、唯手足と口が利かないばかりだ。此処へ連れて来たとしても、何の心配も無く、手も掛からない。寝台の儘(まま)で樹の陰の涼しい所へでも休ませて置けば、安楽そうに、一日でも横たわり、鳥の声蝉の音などを聞いて楽しんで居る。巴里の宿屋に来てからは、それ程静かな所が無いから、この家へでも連れて来て遣れば、唯庭の眺め丈でも何程(どれほど)気が変わって好いか知れない。」

 この様な細々(こまごま)の言葉に向かって、何で否やを言うことが出来るだろう。園枝は非常に喜んで、
 「私も、何時かは大佐にお目に掛かり、心許(ばか)りのご恩返しも致したいと、思って居ましたから、若しこの住居が宿屋よりも大佐の心に叶うならば、幾日でも逗留なさって戴きましょう。」
と言い、先ず話が纏(まと)まったので、男爵もまだ満足する事が出来ない一か条が別にあるとは云え、是だけは非常に満足の様子で帰り去ったが、翌日は早くも大佐を台に載せて連れて来た。

 園枝は昔の頑(かたくな)だった武人に、似も附かない大佐のか弱い有様を見ては、変わり果てた我が身よりも、もっと哀れさが増して、殆ど涙を止める事が出来なかった。

 「オヤ、好くお出で下されました。」
と云ったまま、台の端に顔をもたせて泣き沈んだが、漸(ようや)くにして首を上げ、再び大佐の姿を眺めて、
 「さぞご不自由な事でしょうが、この屋敷がお気に召せば、是からは私がお傍に附いて居ますから。」
と云うと、大佐も嬉しさと悲しさからか、無言の目から涙をハラハラと溢(あふれ)させた。

 昔ならば、是位の事で睫毛(まつげ)一本動かさない、鬼の様な人であったが、永々の病の為に、心までもこの様に弱くなったのかと思い遣り、気の毒な事と言ったら言い様が無い程だった。




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