巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune18

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.11.11

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         捨小舟  前編   涙香小史 訳

                 十八

 永谷礼吉と皮林育堂との相談は一語一語に熟して行った。
 皮「サア、こう云う訳だから、君の伯父が何時妻を迎えないとも限らない。で君は今から目を開いて伯父の挙動を見張って居なければーーー。」
 永谷は絶望の様子で、
 「見張るとしても何うして見張る事が出来る。僕はもう、伯父の傍へ近付く事さえ出来ないのに。」

 皮林は己の知恵を誇る様に打ち笑い、
 「アハハ、自分で見張らなくても、常に君の伯父に就いている従者に見張らせるのさ。エ、常磐男爵には従者があるだろう。毎(いつ)でも傍に就(つ)いて居る従者が。」
 永「一人有るよ。西井密蔵と云う男が。」
 皮「それならその西井密蔵と云う者に、内々で聞けば好い。常磐男爵が妻でも迎えそうな様子は無いかと。」

 永「駄目だよ。僕の伯父は自分の心を従者などに話す様な人じゃないから。」
 皮「ナアニ、伯父は話さないだろうけれど、従者は主人の話さない事まで知って居るよ。誰の従者でも、主人の秘密を知り度いから、戸の鍵穴から覗いたり、襖(ふすま)の外で耳を澄ませたりする者だ。」

 永「だって君、縦(よし)や西井密蔵がその様な事をするとしても、中々正直な男で、もう二十年近く僕の伯父に使われて居るのだから、主人の事を饒舌(しゃべ)りはしない。」
 皮「饒舌(しゃべ)るか饒舌(しゃべ)らないか、僕に任せて置きたまえ。僕が全(すっか)りその密蔵から聞き出して来る。」

 永谷は怪しんで、
 「何うしてその様な事が出来る。」
 皮「イヤ、君は未だ坊ちゃんだよ。年こそ僕と同年だが、本当のお坊様だ。僕は幼い時から貧乏と云う厳しい学校で修行した丈に、世の人情は好く知っている。何んな人でも、賄賂に乗らない人は無い。唯その賄賂の大小丈だ。金と云う賄賂に乗らない人でも、名誉と云う賄賂には乗る。名誉に乗らない人でも、情と云う賄賂には乗る。その密蔵とやらが、何れ程正直かは知らないが、その正直を酔わせる賄賂は僕の手に幾等も有る。」
と言って終に永谷を説き伏せた。

 その翌日、この皮林育堂と云う男、真面目な医者の姿で、アリントン街にある常磐邸の玄関に至り、家従西井密蔵に面会を乞い度いと申し込んで、外科医師皮林育堂と記した立派な名札の片隅に、
 「大切な要件で、至急お話致し度い事あり。」
など鉛筆をもって書き添えて渡した。

 間も無く玄関脇にある一室に通されて、出て来た西井密蔵と云う者をじっくり見ると、年は四十の余になりそうで、成程正直気な顔付ではあるが、人の心を読むのに慣れた皮林の目には、何所と無く心弱くて、他人の頼みを充分には斥(しりぞ)け得ない相も見え、且つは今まで出入りの商人などから多少の袖の下を貰って、世に云う「鼻ぐすり」の味を多少は嘗(な)めた事の有る人である。

 皮林は腹の中で、
 「フム、是なら手に終えない人物では無い。」
 更に一段の真面目なる顔で来意を述べ、
 「自分は永谷礼吉の親友で、この頃礼吉が男爵に勘当せられたとやらで痛く失望に沈み、昨今は一種憂鬱の病に罹(かか)って居るので、友人の情として、手を袖にして観(み)ているのに忍びず、永谷へは知らせず、密かに伺いに来た次第であるが、この勘当は後々礼吉の辛抱一つで、随分許される見込みが有るものだろうか、それとも無いものだろうか。有れば有る様、無ければ無い様に取り計らいもし、慰めもせしなければならない。」

などと云って、真事(まこと)虚空(そらごと)打ち雑(まぜ)て問出したのは、先ず自分の親切と誠心(まごころ)を示して、相手を油断させる為である。密蔵は聞き終わって、気の毒気に、
 「イヤ、只今の所では、先ず勘当は許される見込みは無い様に思われます。」
と答えた。
 如何なる返事に出逢うとも、直ちにそれを種にして付け入るのが、この様な口達者な者の常なので、皮林は少しも驚かず、唯充分に心配を顔に浮かべて、吐息を吐(つ)き、

 「アア、それは誠に残念だ。当家のお為に重々残念な次第だ。子も同然に、幼い時から当家で育てられた礼吉殿が、愈々他人と事極まれば、当家の行々は、貴方方も気の知らない人に使われる事になるだろうが、定めし下僕従者一同も辛い事でしょう。

 何しろ気心の知れない新主人に使われのは、多年住み慣れた下僕に取っては、気骨の折れる事だから。第一安心が出来ません。安心がネエ、此方(こちら)の癖を呑み込んで居て呉れる主人なら、たとえ少し粗相が有っても、此方に悪気が無い事を知って居るから、大抵は見逃して呉れるが、新しい主人では爾(そう)は行かない。イヤ、本当にお察し申します。

 それは猶(ま)だ程遠い事だなどと、イエ、中々安心はして居られません。若しや当家の御主人がフトした気の紛れから、御夫人でも迎える様に成って御覧なさい。イヤサ、その様な事はないでしょう。けれど、夫人など言う者は、細かに召使の難癖に注意して、それはそれは八かましい者ですよ。貴方がたが、何れ程お屋敷に居憎(いずら)くなるかも分りません。」
など口に任せて言い回すと、心弱い従者密蔵は煙に巻かれた心地で、浮か浮かと、

 「イヤ、本当にお察しの通りですよ。若し今から十日前にその様な事を仰(おっしゃ)れば私は驚いて、イヤ、当家の主人に限り、今更夫人を迎える様な事は決して有りませんと、キッパリ言い切りますが、今は何とも言い切る事が出来ません。」

 皮「とは又何う云う訳で。エ、十日前。夫(それ)は夫(それ)は、実にお察し申します。」
など口先に丸め込み、根掘り葉掘り、終に皮林は彼の少女園枝を救い上げた有葉有枝(いちぶしじゅう)を聞き尽くして帰り去った。

 アア彼れ、何と云う少才子であることか。


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