巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune28

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.11.21

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)

         捨小舟  前編   涙香小史 訳

                二十八

 如何に定め無き世であるからと言って、これ程までも睦まじい男爵夫婦が、皮林育堂の言う様に、浅ましい境遇と成り果てることが有り得るだろうか。しかしながら皮林は少しも疑わない様子で、
 「本当だよ君、安心して待って居たまえ。其の時には男爵の財産は残らず君の者だから。」
と聞いたが、永谷礼吉はまだ半信半疑で、

 「爾(そう)だろうか。本当に爾なるだろうか。」
 皮「成るとも。僕が請合う。」
 永谷はこの恐ろしい言葉に、少しその身を震わせ、
 「併し誰の力でその様に成るのだろう。」
 皮「無論、僕の力でサ。」
と言い切り、更に聞く人が有りはしないかと気遣う様に四辺(あたり)を見回し、声を潜めて、

 「だけれど僕は、無代価でこの様な大事業をする事はお断りだよ。ここで君と充分に約束して、愈々事の成った暁は、報酬は幾何(いくら)と明らかに定めて置かなければ。」
 永「それは僕だって恩を知ら無い人間じゃ無し。君のお蔭でこの財産が我が物となれば、充分にお礼はするよ。」
 皮「お礼、ナニお礼などはして貰い度く無い。手に取って目方の有る正金で幾等と言う手数料を貰わなければ。」
 永「お礼も手数料も同じ事サ。」

 皮「先ず、男爵の所得は一年五万ポンド(凡そ現在の30億円)と言うことだが、その三分の二が君に伝わる者と見ても、君の歳入は三万ポンド(現在の18億円)以上には成る筈だ。サ、年に三万ポンドの所得が有れば、相続の日から向う満二年の間に、僕に正金三万ポンドの手数料を払うのは敢えて六ケしく無い。即ち所得の半分を二年の間僕に払う丈の事だ。爾(そう)すれば、僕は二年の間に凡そ二十五万円(現在の約18億円)ばかりの身代が出来る。君の身代に比べては、僅かに四、五十分の一サ。」

 成るほど、千万以上の大財産に比べては、僅かに四、五十分の一ではあるが、二十五万円とは恐ろしいほどの手数料なので、今は一年に二百金の所得しか無い永谷は目を見張り、
 「エ、二十五万円」
と叫ぶと、皮林は忽ち気勢を折り、
 「エ、二十五万円の手数料と聞き、君が驚く様ならば、決して僕から達っては勧めないよ。随分危険な、爾(そう)サ、命掛けの仕事だから。それより下では引き受けられない。この相談は是れ切りで廃(やめ)て仕舞おう。」

 永谷は又驚き、
 「待ちたまえ、そう短気な事は言わずに、先ア待って呉れたまえ。君の言う事は余り意外だから、殆ど僕には受け取り兼ねるが、本当に伯父の財産が僕の物になると決まれば、それは三万ポンド位の手数料は君に遣るのサ。」

 皮「本当か。」
 永「本当とも。」
 皮「それではその事を白い紙へ黒い墨で書き、判然と約束し給え。」
 永「約束する。約束する。するが何う書けば好い。」
 皮「ナニ、僕に宛てて、一万五千ポンドづつの約束手形を二枚呉れれば好い。一枚は今より一年の後に支払い、残る一枚は二年の後に支払うと言う事にして。」

 永「フム、その様な約束手形を出して、若しも、財産が僕の物とならなかった日には。」
 皮「イヤ、その様な心配は無い。男爵の財産を相続しなければ、無効だと言う返り証文を僕から君に差し入れて置く。だから安心して認め給え。サア、茲(ここ)に僕が手形用紙を持って居る。」
と言い、早や二枚の用紙を取り出し、永谷の前に差し附けると、永谷は益々驚き、

 「何だ君は、既にこの様な用意まで。」
 皮「爾(そう)とも、僕は学者と商人を兼ねて居るのだ。この様な事に失念(ぬかり)は無い。何でも約束と言う者は早く取極めて仕舞わなければ、得てして魔が指すものだ。」
と言った。

 永谷はその意に従い、用紙の表に金額と我が姓名とを書き入れながらも、皮林がこの様な悪事を相談するのに、悪魔の様に落ち着いて、通常の人が善い事を相談するより、もっと静かに構えるのを見ては、殆ど限り無い恐れを催し、

 「本当に君は悪魔だよ。見掛けに似合わない大胆な男だよ。平気な顔の裏に、様々の悪計(わるだくみ)を隠し、一寸の落ち度も無く、考へ廻して居るとは、僕は恐ろしくなって来る。」
 皮林は非常に冷たく笑い、

 「僕も自分でそう思う。本当に悪魔だよ。併し、永谷君、悪魔なればこそアノ通り、幸福に世を送る新夫人を奈落の底へ引き込む事が出来るのサ。通例の人間には出来ない事だ。悪魔でも愈々新夫人を退治して、この財産を君の物に仕て仕舞えば、君は僕を神の様に思うから見て居給え。新夫人の為には悪魔、君の為には救主サ。」

と言い終って、永谷が認(したた)めた二枚の手形を検(あらた)めて、衣嚢(かくし)に納め、又物凄く打ち笑う様は、真に情け有り心ある人間では無い。永谷はこれを見て、歯の根までも寒いのを覚えた。
 悪魔、悪魔、これから彼は、如何なる禍を、男爵の幸いなる一家内へ、降り下(おと)そうとするのだろうか。


次(二十九)へ



a:212 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花