巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.10.27

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 捨小舟  前編  涙香小史

                   三

 船長立田が店に帰って来ると、主人(あるじ)と古松は、帳場の脇にある一室で強い酒の瓶を開き、飲みながら何事をか語って居たが、立田の帰りを見ると、主人は早や積年の親友の様に隔てを捨てて出迎え、
 「サア、貴方が来なけりゃ勝負になりません。先程から骨牌(カルタ)を出して古松氏と共に待って居ました。」
と云い、手を取って迎い入れた。

 立田は深い策略が有るなどとは固(もと)より疑う筈も無く、却って徒然を消す善い慰みを得たのを喜び、そのまま団欒(まどい)に列なって、酒と共に骨牌(カルタ)を始めると、幸か不幸か勝利は毎(いつ)も自分に帰し、日暮れて客の入り来る頃までに、宿の払いに余る程の金を得た。

 金の損得は気にも留めないが、勝つと云うのは嬉しい者で、心自ずから浮き立って来るので、従って屡(しばし)ば硝盃(コップ)に手を掛けて、幾杯と無く飲み干すと、その飲み干す傍らから直ちに主人が波々(なみなみ)と注ぎ入れて、硝盃(コップ)の空になる暇は無かった。

 酒に掛けては相手を恐れぬ船乗りの事なので、主人がこの様に注意して酌をするのを怪しみもせず。従って酌(つ)げば飲み、幾瓶をか空にして、
 「サアサア、又私が勝ちました。古松さん、気を確かにして復讐をしなければいけませんよ。」
などと云うのは、我知らず深く酔った者に違いない。

 この様な時には、酔いに乗じて如何なる過ちを仕出来(しでか)しても、全く悔いることを知らないのが、酒と云う者の常なので、それと主人は見て取って、時分は好しと思ったか、
 「イヤ、残念ながら今夜の勝負は是だけで切り上げましょう。追々客が立て込めば、この部屋が塞(ふさ)がりますから。」
と云う。古松は恨めしそうに、

 「イヤ、今止(や)められては困ります。折角運が向いて来かけた所だから、是から遣れば、屹度私の負けが回復する。」
 立田は古松の豊かでない事も知り、少々ではあるが勝ち過ぎたと思ったため、古松に加勢して、
 「爾(そう)だ、今止めるのは、古松氏に気の毒だ。私も幾等か敵(かたき)を打たれるまで続け度い。」

 主人は迷惑気に暫(しば)し考え、
 「と仰(おっしゃ)っても、この部屋は一番お客の好む部屋で、もうソレ八時を過ぎましたから、永く塞(ふさ)いで置く訳には行きません。今から続けると、何うせ夜明かしに成りますから、---イヤ何(ど)うだ、古松さん、貴方のお宅へ戦場を移しては、エ、貴方のお宅なら夜が明けても明日に成っても遠慮は無い。私も店を家内に任せ、一緒に行くが、エ、何うだ。」
と古松に向って云い、更に、

 「エ、何うです。」
と船長立田に向って云った。
 立田は古松の宅と聞き、彼の園枝とやら云う美しい少女に、会われるかも知れないとの思いは口には出さないが、早や賛成の気色が見えた。主人はその色を呑み込んでか、

 「穢(きたな)い住居でも静かだから、旦那が我慢して下さるでしょう。それに給仕ぐらいは園枝嬢にさせるから、少しも不自由な事は無い。酒は私が一ダースも持って行けば沢山だろう。」
 古松は然らば止むを得ないと云う様な口調で、

 「爾(そう)さ、船長が穢(きたな)い所を我慢さえして下されば。」
 主人「何うせ貴方が王侯の宮殿に住んで居ようとは誰も思わない。穢い位は我慢して下さるとも。ネエ、旦那。」
 船長立田は穢い中に唯一つの美しい者が有るのを見込んで、
 「爾(そう)とも、何の様な所だって構うものか。」
と言い切った。

 これで相談が一決したので、主人は馬車を呼んで来て、これに約束の酒を積み、三人一緒に打ち乗って出発し、闇の夜道を急がせたが、四辺(あたり)の風景はどんなだろうと見たが見えない。頓(やが)て一里余も走ったかと思う頃、馬車は停まり、古松が先ず降りたので、船長立田も続いて出ると、人里離れた所で、川とも掘りともはっきりしない流れに沿い、崖の高く立った所に、一軒の古い家があった。暗(やみ)は暗だったが、是だけは見分ける事が出来た。

 強い風に、この家が若しや崖の底に吹き落とされはしないかと、危ぶまれたが、四辺(あたり)には雑木が茂る儘(まま)に生い茂っており、その根は固く崖を縫い綴じて有りそうだったので、思うよりも頑丈かも知れない。何しろ物凄い事限り無い場所ではあるので、危険に慣れた船長も、酒の酔いが半ばは醒め、
 「是が貴方の住居ですか。」
 古松は無愛想な声で、

 「爾(そう)です。昔し、金貸しの猶太(ユダヤ)人が住んだ家だと云いますが、或夜、その猶太(ユダヤ)人が殺されてから、この家へ幽霊が出ると云い、借りて住む人が無いのに惚(ほ)れ込んで、私が借りたのです。最(も)う八、九年住みますが、アハハハ、幽霊も出て来ません。」
と打ち笑う声も、何だか幽霊の笑い声かと思はれる様に聞こえる。

 それから船長立田は古松の後に従って歩み入ると、家の内は、客間、居間、台所の三室に別れ、唯台所にだけ灯火(ともしび)を兼ねた焚き火があった。山奥の住居にも似ている。
 焚き火の傍に座って、何か物思いにふけっているように、その炎先(ほさき)を眺めている一人、是こそ船長立田の目に、先夜以来面影に留める少女園枝である。

 先に見た時、之に優る美人無しと思ったが、今見ると、その思いより又優り、顔の半面に焚き火の影が赤く照る有様は、絵にも描(か)くことが出来ないほどだ。少女は足音に驚いて此方(こちら)を向いたが、此方の暗さに見えないのか、怪しんで立とうとはしたけれど、

 「阿父さんですか。」
の一語をも発しないのは、唯一人の親と子には有ってはならない余所余所(よそよそ)しさである。その中に古松は自ら洋灯(ランプ)に火を燈(とも)すと、立って来た少女園枝は父と船長の顔を見て、何故だろうか、深い恐れに襲われたものの様に、殆ど顔の色を青くしたが、恍惚として見入っている船長の目には、未だそれとは気付かない間に、園枝は無言で元の席に退いた。未だ気遣わしそうに此方(こちら)の様子を眺めて居る様は、何か仔細が有りそうに思われた。


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