巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune35

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.11.28

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         捨小舟  前編   涙香小史 訳

            三十五

 遊山(ゆさん)とは唯打ち群れて、野に遊び山に遊ぶ丈の事であるが、これほど楽しい遊び方は稀である。特に常磐男爵家の遊山会は、大抵年々一度づつ催す行事で、その場所は、広い英国の中にすら多くはない、風景絶景の地、俗称「迷いの洞(ほら)」(ウイザード・ケーブ)と称する所である。この遊山には、唯だ男爵の客仁のみが集うのではなく、近郷近在に別荘を持つ物持の子女は、年中の晴れ場所と思い、先を争って集い来るのが常であると云う。

 当日の朝と為れば、常磐荘園の門前門後は馬幾百、車幾十、数え切れない程で、混雑も並大抵でない。勿論、野に遊ぶ事なので、着物は成るべく華奢を避けるのが当然ではあるが、群集の中で、四辺(あたり)に輝やこうとするのが、婦人達の常なので、その場所の石原や草の上であることも厭わず、唯だ人数が多いと云うだけの為に、何れも華美を尽くして眩暈(まばゆ)いまでに着飾っている。

 その中に、独り新夫人園枝だけは、遊山の楽しみは、衣服に在るのではなく、衣服を厭わず、保養に在ることを知っているので、日頃よりも目立たないように極めて薄い草色の絹を着流し、飾りと言っては、首輪、襟留、腕輪などに、藍色石のみを象嵌した対の細工物を着け、その外には、唯だ優美な編縁(レース)を、所々に施しただけ。

 しかしながら、この淡白な拵(こしら)えは、綺羅めいている多勢の中に、却(かえ)って唯独り水際立って見え、雀の中に鶴が下りた趣きがある。男爵が日頃最も園枝を好むのは、実にこの様な淡白な装いに在るのだが、悲しいことに、それも今は過ぎた夢となろうとする。

 華美(はで)の中に又一際華美なのは、当年満二十六歳と聞こえる彼の倉濱小浪嬢である。今日こそは近郷近在の物持ちの息子株で我が擒(とりこ)となる者が三、五人は有る筈だと、前から目星を附けているので、特に倫敦(ロンドン)にある裁縫会社へ注文し、既に数多の代金の滞りがあるとは云え、舌に劣らない巧みな筆先で、近々大金満家に娶られる見込みがあるかの様に仄(ほの)めかし、

 この衣服が調達出来なければ、殆ど旧借を返済する目途は当分は立ち難しなどと威(おど)し、その代り万事の見込みは総て衣服に繋(つな)がるので、この注文に応じて呉れれば、必ず半額は遠からず払い渡すなどと、令嬢で有りますとは言えないほど、非常に怜悧(さか)しく書き送った効き目として、この遊山の前日に、漸(ようや)く仕立て卸しの一行李が到着し、更に一通の手紙まで添えて有ったので、眉を顰(ひそ)めながら読み下すと、

 最早や手を退(ひ)き難いほど貸し過ぎたので、止むを得ず注文には応じますが、速やかに旧借の幾分を支払わなければ、この度が最後で、直ちに法律の手を借りることになりますなどの意を、遠回しに書いてあった。

 嬢は「極まり文句だ」
と不機嫌に呟(つぶや)いて、直ちにその手紙を火中に投じ、行李を開いて検(あらた)めると、仕立て屋もさる者で、成る丈金目を省いて、然も成る丈人の目を賑(にぎわ)す様、非常に巧みに仕立て有った。多少の申し分が無い訳では無かったが、先ず何人にも退(ひ)けを取らない新形なので、嬢は大いに安心し、当日は誰より先に之を着け、同じ馬車に相乗りすべき息子株を選ぼうと、門前門後に出たり入ったりして、笑顔を振り播(ま)いて練り廻るのも、矢張り交際の一手だろうか。

 見渡す限り、今日の客には、年が我が身に及ぶ令嬢が無いのと同じく、又器量と衣服が我が身に及ぶ令嬢も無しと見たので、益々心が浮き立ったが、それに附けても愈々以って面憎いのは新夫人園枝である。その顔の美しさは今に始まった事では無いが、その衣服の瀟洒(さっぱり)とした清らかなことは、学んでも得る事が出来ない所がある。特に何の飾りも無い淡白な拵(こしら)えだが、唯その襟飾りの一個でも、既に我が華美な新衣服より、二倍、三倍の値が有ることは、他人の身姿を値踏みするのに長けた、満二十六歳の活眼には、一目で明らかなので、嫉(ねた)ましさ、羨(うらや)ましさは限り無かった。

 「あれほど傷つけて置いたのに、男爵は未だこの様な品を新夫人に渡して置くのか。」
と不思議に思い、
 「今日こそは。」
と何やら悪意を帯びて呟(つぶや)く心は、知らず識(しら)ず、彼の皮林育堂の道具と為って、使われることになることを、気付く事が出来ないのは、情け無い事だ。


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