巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune41

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.12. 4

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         捨小舟  前編   涙香小史 訳

                四十一

 園枝と皮林が、一つの馬車に相乗りして去ったのを見た、彼の倉濱小浪嬢は、その意地悪い根性で、打ち喜ぶこと限り無く、これで新夫人の名誉は全く落ち、常磐(ときわ)男爵も後悔して、その妻を去らせる事になるに違いないなどと、早や心の裏に男爵夫婦の後々の不幸を描き、この駆け落ちを実見したのは、唯だ自分一人なので、先ずこの事は腹の奥深くへ蓄えて置き、

 他日新夫人が何とか弁解する場合には、一言でその弁解を挫(くじい)て呉れるなどと、嬉しそうに頷(うなず)いて、この所を去り、客一同の方に戻って行ったが、客一同は食後の運動にと言って、芝草の上で舞踏を催し、この為に雇った楽隊の合奏に連れ、散々に踊り崩れて、男爵夫婦、皮林などの居ないのには気も付かない有様である。

 そのうちに全く夜に入り、諸人皆踊り疲れ、漸(ようや)く帰り度(た)い心を催す。頃は秋の最中(もなか)、澄む月は磨いた鏡の様に上り、野の面(おも)、山の陰、そうでなくても絶景と云われる所に、又一層の趣を添えているので、この月を頂(いただい)て安楽の馬車に乗り、この絶景の中を帰るのは、実に遊山に疲れた客に取っては、仙境に入る思いがするので、人々の喜ぶことは譬(たと)えようにも譬える物も無い。

 中でも小浪嬢は、一方には既に新夫人園枝の怪しい振る舞いに、満足したが上に、又一方では、今朝同じ馬車に相乗って来た、彼の金満息子、非常に我が身の美しさに、酔い迷った様子がある。食事の時にも、充分に酒を勧め、且つは充分に気を持たせて置いたので、この上この帰り路に、再び我が身と相乗りする事と成ったら、水の向け方一つで、必ず有頂天外の人と為り、前後を忘れて我が身に、夫婦の約束を言い込むに相違無い。

 一旦既に言い込んだ以上は、翌日酔いが覚めた時に、後悔しても許すものか。満二十有六年間の経験を活用するのは、此所(ここ)であると、天鵞糸根(てぐすね)引いて待って居たが、待てども、その人の来る様子が無いので、待ち兼ねて此方(こちら)から尋ねて行くと、嬢の身には、毎(いつ)も毎(いつ)も失望と云う事が、付き纏(まと)うのか、彼の息子は酒に酔って、益々心浮かれる社交界の紳士達とは違い、酔いの後は眠気を催す、味も色気も無い質と見え、よろめき乍(なが)ら嬢の手を払い退け、

 「イヤ、もうお相手は真っ平です。酔うと直ぐに眠くなる事は、家の者が好く知って居て、早や向いの馬車が来ました。御免御免、アア眠い。」
と云いながら、重い瞼を充分には開く事も出来ず、転がる様に、己が馬車へと逃げ込んだので、嬢は籠の鳥を逃がした様な思いがしたけれど、十度(た)び二十度びこの類の失望に慣れた嬢なので、失望を失望とも思わず、

 「エエ、仕様の無い田舎者だ。」
と唯一言の独り言で、コソコソと非常に手軽く我が心を慰め、膿んだ物が潰れたほどの顔もせずに、一同の方に帰って来ると、一同はこの時又も、相乗りの組を定め様として、初めて男爵夫婦の見えないのに心付き、心配そうな評議の最中であった。

 だが幸いに、先刻新夫人園枝に向い、男爵が急ぎ去った事を告げた、彼の馬丁が、同じく一同に、男爵が食事の時に、愛馬オレストに乗り、去った言を告げたので、是で男爵だけの事は分ったが、こうなれば愈々園枝の行方が怪しく、男爵唯一人で帰り去った者とすれば、園枝も又唯一人で、何処かに行ったのに相違無い。

 良人(おっと)ある身が、唯一人で姿を隠すとは、それさえ既に異様なのに、況(ま)してや今日の催しの主婦(あるじ)であるのにと、益々怪しんで、様々な想像を浮べ、或いは男爵を尋ねて、山の中で道を失ったのに違い無いと云い、或いは谷川に落ちたのではないかと気遣い、まちまちにして決しないのを、小浪嬢は腹の中で、非常に面白い事と思って聞いて居たが、何人も皮林育堂の紛失には、気も附かない様子なので、嬢は悶貸(もどか)しさに我慢が出来ず、進み出て、

 「爾(そう)云えば、新夫人と仲の好い、あの皮林とか云う方も、見え無い様では有りませんか。」
と味に二人を絡(から)み合わせて、諸人の注意を呼ぶと、諸人の心配は又一種の色を添え、是から八方に手を頒(わ)けて、捜そうとまで云う者まで出て来た。

 しかしながらその中に、先程から夫人の行方の探索に身を委ねて居た、下部(しもべ)の一人が、男爵の甥永谷礼吉の傍に来て、先刻皮林育堂が、馬車の待合所に来て、その中の最も小形な一輌を選び取り、その馬車を預かって居た小僧に向い、常磐男爵の新夫人が痛く疲れたと云うので、外の客には知らさずに、新夫人を屋敷まで送り届けるので、聞く人が有ったら、爾(そう)云えと伝えて置いて去ったとの事を報じた。

 これで人々は、夫人が皮林に送られて、抜け帰りした者と合点し、漸(ようや)く心配は収(おさ)まったけれど、主婦(あるじ)たる身が、疲れを言い立て、客を捨てて置いて立ち去るとは、貴婦人に有るまじき無作法千万の振る舞いなので、誰一人怪しま無い者は無く、中には小浪嬢の絡(から)んだ言葉に引かされ、皮林と夫人とを結び合わせて、異様に疑いを容(い)れる者も有った。

 しかしながら先ず是で一段落は付いたので、愈々遊山場所を立ち帰る道には登ったが、列の第一に進むのは、今朝新夫人が小浪、金満息子、皮林と四人で乗って来た、彼の二頭立ての新馬車で、永谷の外に三人の紳士が乗っていた。この馬車は、先刻園枝が良人の大怪我と聞いて立ち去る時に、直ぐにヤルボーの古塔へ廻す様計らって呉れと皮林に頼み、皮林も承知してそれを頼む為め、故々(わざわざ)供待室にまで行ったのに、皮林は園枝の頼みを果たさなかったと見え、この馬車は古塔へは廻らずに茲(ここ)に有る。

 是れは怪しむ可き事だが、勿論是等の事を知る人は居ないので、従って怪しみもしない。唯だ月の清さに浮かされ、一同道の遠さも忘れる中に、一人永谷礼吉だけは、心に異様な恐れを生じ、月を見ても目に移らず、馬車の上で欝(ふさ)ぎ込むだけ。その理由は何処に在る。

 彼は実に皮林育堂が、我が身の為に伯父男爵の夫婦に向い、恐ろしい陰計(たくらみ)を企てつつ有るのを知っている。その陰計(たくらみ)がどんなものかは知ら無いが、彼育堂が、園枝を馬車に乗せ去ったと云うのを聞いては、今夜こそ彼の陰計(たくらみ)が、実行せられる時に相違無いと思い、更に又、彼育堂の、如何なる悪事をも、非常に落ち着き非常に冷淡に遂げ果たす、恐ろしい気質を思い合わせては、我が伯父、我が伯父の妻は今頃、彼の手で如何なる目に逢っているのだろうと、悪人ながらも殆ど身震いを止める事が出来なかった。

 男爵と園枝と皮林、今果たしてどの様な有様なのかは分らない。


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