巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune64

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.12.27

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         捨小舟  前編   涙香小史 訳

                 六十四
 
 顔の絵の具を、洗ひ落とせと云う気味悪い亭主の言葉に、さては我が姿は見破られたかと、流石の皮林はギョッとして、暫(しば)しは返事に窮したが、彼漸(ようや)く逃げ道を考え出し、事もなさそうに打ち笑い、
 「ハハハハ、私の顔が分かったか、之は感心、どうしても品物を商うには、少し年をとった方が信用を得やすいから、こうして老人の様に作って居るのサ、エ主人、私の注意も感心だろう。」

 亭主は少しも感心しない顔で、
 「ハイ感心です。貴方の口先の旨(うま)いのには感心です。成るほど旅商人と見せ掛けて、常磐家の台所へ入り込むには、外科医皮林育堂と云う露出(むきだ)しの顔では、行かれないでしょう。」
 アア此の者、早や既に我が本名までも知って居るかと、皮林は只管(ひたすら)に仰天し、日頃の落ち着いた気質にも似ず、殆ど罠に罹(かか)った老孤が、逃げ場は無いかと見廻す様に、虚呂虚呂(きょろきょろ)其の眼を動かすばかり。

 亭主はこれ以上に、皮林を苦しめようとは思わないのか、皮林の返事を待たずに、又も異様に微笑(ほほえ)んで、
 「皮林さん、貴方は随分大きな博打を打って居ますネ。貴方の賽(さい)の目は、こう云う私の意一つで、一とでも六とでも何うでも動く事を知りませんか。」
 皮林は唯僅(わずか)かに、
 「博打とは、エ、博打とは。」
と問い返すだけ。

 「そうですね、命を掛けて、何千万の常磐家の財産を取ろうとは、随分豪(いら)博打ではありませんか。」
と益々急所を狙って来た。抑(そもそ)も此の主人は何者なのだろう。如何(いか)にしてこの様な事まで知っているのだろう。
 皮林は唯だ不思議で仕方がなかったが、今はその様な疑問を問糺(といただ)すより、自分自身が、此の所を切り抜けるのが、急務なので、

 「お前は飛んだ事を云う。成る程私の振る舞いには、怪しく思われる所も有るだろうが、総て人の為を思ってする事、何で命を掛けて財産を奪うなどと、その様な欲徳な仕事では無い。後になれば何も彼も分る事だ。」

 亭「後にならなくても、私には何も彼も分って居ます。譬えばヤルボローの古塔へ、常磐家の新夫人を引き上げて、古塔の上で貴方が夫人に、何の様な説教をしたかと云う事まで、私には分って居ます。大きな博打と云う言葉も、既に貴方が自分の口で其の時、新夫人に言い聞かせた言葉では有りませんか。」

 茲(ここ)に至っては、皮林は初めて、我より上を行く恐ろしい人が、此の世に有るのを知り、思わず知らず打ち叫びて、
 「エ、エ、その様な事が何うして分った。」

 亭「アノ夜に、丁度アノ古塔の縁の下に、一人の乞食が寝ていたとは、今が今迄知らなかったでしょう。其の乞食は、度々此の店へ、余り者を貰いに来て、私が充分恩を被(き)せて有るから、今は私の手の中に在るのと同じ事です。サア斯(こう)なって見れば、貴方の博打の賽の目は、私の手の中に在るのも同様です。貴方を負かして、貴方の命を失わせようと、夫(それ)とも又貴方を勝たせて幾千万の財産を手に入れさせようと、私の心一つです。何うしましょう。勝たせて上げましょうか。負けさせて上げましょうか。」

 皮林は、暫(しば)しの間、返事もせず、黙然として考えて見て、此の者は実に恐るべき敵で、全く自ら云う様に、賽の目を握って居るとは云へ、勿論金銭に転ぶ悪人で、我を強談(ゆす)ろうと、欲心からこの様な威(おど)しを、用いるものだから、金次第で如何様にもすることが出来るだろう。そうすると、初め思ったほど、恐れるには足りない。特にヤルボローの古塔で、我と夫人の問答を聞いて居た人があったとしても、夫人は既に不義者と見做(みな)されて、何所(いずく)とも知れず立ち去った後であるからは、今更に其の事を、喋々と言い立てたからと言って、さほど我に取って、恐る可き事ではない。夫(それ)ばかりか、既に此の者の言った様に、男爵が昨夜死んだとすると、我が計略は悉(ことごと)く成り果せたるものにして、恐れる所は無し。

 男爵が若し生きているならば、此の者が夫人の事や我が身の事を男爵の耳に入れ、我が計略を狂わせる恐れはあるけれど、男爵はこの世に無いばかりか、其の遺言書は、我が眼で見届けた通り、永谷を相続人とし、再び書き替える理由も無い。常磐家の財産は、既に永谷の物にして、即ち我が身の物である。此の悪人の知る秘密は、多少は恐ろしいものがあるが、最初我が驚いた程ではない。好し好し、幾何(いくら)かの報酬を与えて、此の者の口を塞(ふさ)ごう。若し応じなければ、毒殺して地獄の底へ追い落とすまでであると、早くも多寡(たか)を括(くく)ったので、

 「コレ主人、何も長く短く問答するには及ばない。お前の知って居る其の秘密の代価を聞かう。イヤサ、お前はどれほどの口留め金が欲しいと云うのだ。」
 亭主は心の中にて、

 「此奴(こやつ)め、既に男爵が死んだものと思い、己(おれ)の秘密を見くびって、横柄な事を言いやがる。今に見ろ、男爵が生きて居て、大佐が身代わりに成った事を知れば、又弱い音を吹いて、己に泣き付くから、ヘン、此方は今朝既に、医者の所に使いに行く男爵の下僕に聞き、男爵が生きて居る事を知って居る。唯だ此奴の了見を探る為に、男爵が死んだと云って聞かせれば、夫(それ)れを真に受け、口留め金は幾等欲しいかと、浮戯(ふざけ)た事を言い居(お)るワ。利口な様でも、悪事に掛けては、此の古松には及ばない。」
と呟(つぶや)き終わり、更に何気ない口調で、

 「イヤ、幾等と云って私から切り出す訳には行きません。貴方は貴方で山が有らうし、私は私で自分だけの山が有るから。貴方の付ける値が気に入れば、貴方の心に従がうし、気に入らなければ、自分の知って居る秘密を以って、思う通りに働く丈サ。私は何方(どちら)へでも金目の多い方へ、賽の目を転ばします。まアまア、茲(ここ)で唯だ押し問答しただけでは、此の秘密の値打ちは分かりません。

 貴方は先ず、旅商人の姿で再び常磐家の屋敷へ行き、様子を突き留めてお出でなさい。爾(そう)すればご自分で合点が行きます。ナニ、貴方がとくと合点の行くまで、私は無言(だまっ)て待っています。」
と云い、皮林が返す言葉も発しない間に、早や此の室を立ち去ったのは、上には上がある悪人の振る舞いであろうか。


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