巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune71

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.1.3

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         捨小舟  前編   涙香小史 訳

                 七十一

 常磐男爵は非常に我慢の強い御仁である。容易に我が心の苦しみを他人打ち明けて語る人では無い。しかしながら今は、初対面の横山長作に、之を打ち明けて語ろうとする。其の理由は実に横山長作が、小部石大佐の、腹心の下僕とも云うべき身の上で有る事を知り、又彼が大佐の病状に、且つ驚き且つ悲しむのを気の毒な事に思い、病の起こった経緯(いきさつ)を知らせるには、我が身の恥まで、打ち明けなければならないと、見て取ったからだ。

 それで男爵は、横山長作を我が居室に連れて入り、先ず椅子に腰を卸(おろ)させ、非常に真面目な言葉で、
 「お前は老友小部石大佐の下僕同様の身分と云うからには、大佐が何故あの様な病に成ったのか、其の訳を知りたいのは最(もっと)もだ。取り分け、私も大佐を客として留置いていた主人の役目として、お前に之を隠して居る事は出来ない。詳しく知らさなければならないが、併し常磐家の主人とも云われる私の身分になれば、初対面の人には、言って聞かされない場合もある。爾(そう)サ、身分の分らない人には、言い度くても言われない事があると云う事だけは、お前も知って居よう。」

 此の厳重な前置きに、横山は既に大佐の病気には容易ならない大秘密が籠もっていることと見て、密(ひそか)に卓子(テーブル)の下で、両の手を絞る様に握り合わせながら、
 「御最もです。勿論貴方ほどのご身分では、私風情に聞かされない事柄もお有りなさるでしょう。」

 男「イヤ聞かさないとは言わない。聞かせるに就いては、先ずもって、お前の身分を聞いて置かなければ成らない。お前は今何をして居る。お前の職業は何だ。」
 横山も極めて真面目に、
 「イヤ、男爵、其の事に就いては少しもご心配は有りません。私は何の様な秘密にも驚かない職業です。他人の秘密を最も良く守る職業です。ハイ探偵です。」

 探偵との一語に、男爵は一層の力を得た様に、其の顔を突き出して、
 「オオ、探偵か。矢張り罪人の行方などを詮索する探偵だな。夫(それ)では意外に好都合となるかも知れない。私がお前に話そうと云う此の事件も多分はーーーイヤ事に由ってはーーー探偵の力を借りなければ成らないかも知れない。シタがお前はその筋の探偵吏(り)か、又はーーー」

 横「ハイ、その筋と極めて親密に往来し、時々は警察を助けて遣る事もあり、又警察から助けて貰う事も有りますが、探偵吏(り)では無く、私立の探偵人です。」
 男「フム、私立の探偵人か。して見れば広く誰の頼みにも応じるのだな。何しろ軍人小部石大佐の下僕とも言うべき者が、私立の探偵を職業にしているとは意外だよ。」
 横山は此の語を聞き、男爵が軍人に引較べて、探偵を賤しむ者と思い込んでいるのを、宛も弁解する様に、

 「イヤ、男爵、私は探偵が職業でも、決して金ばかりの為にするのでは有りません。金が欲しければ、腕に覚えの航海業を営む方が、遥かに沢山の利益が有り、又面白く世を送られます。唯大佐の甥御(おいご)船長立田が殺されて、其の罪人が分らないので、その筋の探偵吏の不親切が残念で、夫(それ)で自分で其の罪人を探り出し、殺された船長立田の為に仇を復し度い一心で、探偵と為ったのです。

 何うも人を殺す様な悪人は、船長立田を殺した丈には止まらず、此の後も必ず、探偵の手に掛かる様な、悪事を働くだろうと思いますから、私は成る丈報酬を安くして、成る丈広く事件を引き受けて居るのです。事に由っては、無代貨で引き受ける事さえ有りますので、世間では私の事を、義侠家の様に言い、様々の事まで頼んで来ます。外の探偵と見比べれば、二倍も三倍も事件が多く、この様に多く事件を引き受けて居る中には、遅かれ早かれ、船長立田を殺した奴に出会(でくわ)すだらうと確信して、働いて居ります。」
と非常に熱心に述べ立てた。

 男「フム、夫(それ)だけの、お前の身分を聞けば、安心して何も彼も言い聞かせる事が出来る。実はアノ小部石大佐の発病は、一昨夜毒を呑んだ為に起こった。」
 横山は余りの驚きに、此の言葉をさえ疑う様に、其の細く光る眼で、男爵の顔を打ち見守るだけだったが、男爵の顔付は冗談などを言うとも思われないので、初めて高く打ち叫び、

 「ヤヤ、大佐が毒を呑みましたか。その様な筈は有ません。」
 男「イヤ、自分から進んで呑んだ訳では無く、他人から呑まされたのだ。」
 横山は又驚き、
 「エ、誰に、誰に、誰が大佐に毒などを呑ませました。」
た。」
 男「私の妻が」
 横「エ、貴方の夫人、何の訳で貴方の夫人が、エ、男爵、私が其の夫人にお目に掛りましょう。其の夫人は何処に居ます。」

と云い彼横山は血相変えて立ち上がり、壁幾重の先まで見透(みとほ)そうとする様に、鋭い眼を配り始めた。実にこの様に熱心な人だからこそ、船長立田の仇を尋ねるだけの為に、生涯を探偵の職業に委ねもしたのに違いない。男爵は彼を推し鎮(しず)め、
 「イヤ、是には込み入った訳の有る事、先ず落ち着いて聞くが好い。」

と云い、是から自分が、素性の知れない若い少女を娶った事から、其の少女が常磐家の新夫人と為り、我が身に与えた恥辱の数々を始め、終に此の家の財産を奪う為、急に我が身を毒殺せんとするに至りし迄を、其の自ら思う通りに述べ始めた。

 其の毒薬が過(あやま)って大佐の口に入ったものの、唯手当てが早く届いた為、僅かに命だけは取り留める事が出来たと語ると、横山は宛も自身の事の様に、一言毎に或は怒り、或は悲しみ、我を忘れて聞いて居たが、男爵の語の終ると共に慨然《憤り嘆く》として嘆息し、

 「命だけ取り留めたとしても何になりましょう。手足も動かず、口も利かず、死人よりもっと情け無い身の上です。男爵夫人こそ船長立田を殺した賊よりも、もっと恨むべき私の敵です。私は立田の仇を探すと同様に、大佐の仇其の夫人を探します。男爵、其の夫人の名は何と云いますか。」

 男「園枝と云うのだ。」
 横山は真に椅子から跳ね飛ばされた様に立ち、
 「エ、園枝、園枝、本当に園枝と云う名前ですか。」
と云い、自ら我が身を制する事が出来ない様に部屋の中を躍(おど)り廻った。


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